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記憶と記録のデジタル化
デジタル技術が記憶と記録に影響すること デジタル技術は記憶と記録の方法に大きな変革をもたらしています。 記録の容易さと大量化 スマートフォンのカメラやデジタルカメラにより、日常のあらゆる瞬間を簡単に撮影・記録できるようになりました。これにより、個人の記録が爆発的に増加しています。 記憶の外部化 クラウドストレージやSNSなどにデータを保存することで、自分の記憶を外部に委ねる傾向が強まっています。これは記憶力の低下につながる可能性もあります。 記録の編集と再構成 デジタル技術により、写真や動画を簡単に編集・加工できるようになりました。これにより、記憶を再構築したり、新たな「記憶の風景」を創り出すことが可能になっています。 記憶の共有と集合化 SNSなどを通じて個人の記憶を簡単に共有できるようになり、集合的な記憶の形成に影響を与えています。 記憶の信頼性への影響 デジタル技術による記録は簡単に改変できるため、記録の信頼性や真正性に疑問が生じる場合があります。 新しい表現方法の創出 デジタル技術とインスタレーションを組み合わせることで、従来の写真や絵
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3月6日読了時間: 5分


人格という鎧
創造のコツは、それがどこから得たものかわからないようにすること。 個性とは、選択して構築してきた情報の違い。 美とは、心揺さぶられたこと。 独創性とは、欲求、興味で選んで記憶している情報素材を新鮮な気持ちになれる組み合わせで再構成されること。 『アビニヨンの娘たち』1907年-1908年 パブロ・ピカソ 生きざまがせつない芸術家 ”家族を守れなかった頼れるお父さん” 【名前】 ネアンデルタール人 【芸術活動】 彫刻制作/歌 ・意思疎通は語彙力ではなく、歌って思いを伝える表現力 『ブリュニケル洞窟ストーンサークル』 諸説ありますが、さまざまな壁画を描き残しているクロマニョン人に対して、ネアンデルタール人は象牙を素材とした彫刻『ライオンマン』などの彫刻(立体)を造っていました。また、ミュージカルのように歌でコミュニケーションをとっていたといわれる芸術家ネアンデルタール人は、現代人より大きな頭(脳)と強靭な肉体を使って、身の回りにある様々なものを利用し工夫して投てき具など人の機能を補完する道具を次々に造り出していたと
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3月3日読了時間: 7分


画家志望だった映画監督
映画監督の色へのこだわり 色は、白と黒の濃淡で表現できる。まさにこの理屈でモノクロ映画の美しさを表現した人物がいます。 映画『羅生門』(1950 年)など、数々の名作で世界を魅了した黒澤明監督です。 『7人の侍』 当時、モノクロ映画は映像の美しさを追求するものではありませんでしたが、彼は「光と陰による色の効果」を利用して、モノクロ映画に色を感じさせることにこだわりました。 それは彼が元々映画監督志望ではなく、画家志望だったからなのです。 画家志望だった黒澤監督は、印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホの絵にあこがれていました。ゴッホの絵といえば、感情をむき出しにしたような鮮烈な色合いが特徴です。 『自画像』1887年春 フィンセント・ファン・ゴッホ そうした背景もあり、黒澤監督はとくに撮影するセットや衣装、背景の配色にはこだわっていました。 侍が刀で斬り合い、吹き出す鮮血を墨汁にするなど、映像がモノクロ化されたときの濃淡をイメージしながら、撮影する対象の配色を意識していたのです。 「モノクロ」の映像で、どれだけ「カラー」を印象づけられるのか
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2月28日読了時間: 3分


価値変換
最先端技術を駆使した空間 昔の作品は、古典って言われるけど、その当時は最先端の技術で制作されてたヒット作。 教会は、建築技術、ステンドグラス、フレスコ技法など その時代の最新技術を使い、庶民たちを空間的に圧倒し、神の存在を信じさせた。 今でいうアミューズメントパークや最先端技術を駆使した魅惑のイベント空間である。 『アヤ・ソフィア(内部)』 ただ反発しても結果は出せない アートの暗黒時代”ビザンチン”。宗教のために美術が利用された時代から、人間本来の姿に関心を向けていった”ルネサンス”に繋げた画家ジョット・ディ・ボンドーネの功績は大きい。 『キリストの哀悼 The Mourning of Christ』 1305年 ジョット・ディ・ボンドーネ 『最後の審判』 ジョット・ディ・ボンドーネ 絵画技法の発展 描いた絵が大理石に代わるフレスコ画 石灰と川砂を混ぜたモルタルが乾く前に描くので表面ににじみ出た石灰が被膜となり大理石化するので色が退色しにくくフレッシュ。 だから、語源はイタリア語の "fresco" (新しい、新鮮な)という意味。 『
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2月28日読了時間: 5分


心で理解する情緒思考 日本文化
日本人は、”不快”を”快“に(解決)する文化を持っている。 日本文化は、見えない(五感で捉えた)物事を“文字(俳句)”や“絵(浮世絵)”に 可視化してきたビジュアル(美意識)文化。 ”観察”とは、「よく観て、察する」こと、「気づく」こと、「気づかい」。 生活習慣に根付いた美意識。 気づいたときに感覚が研ぎ澄まされる。 葛飾北斎 画 葛飾北斎 『北斎漫画』より 東洋においては、自然と自己の境界はあいまいなので、人間だけではなく、山や海、空や雲、あるいは名もなき雑草、雑木、めだかやトンボでも、本気で向き合い描いています。 つまり、自己は自然を感知しているか否か、自然も自己を感知しているか否かだけではないと感じる故、主観と客観が一円相になることを理想とし、それを象徴的に表現することを望んできたように思われます。 『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳 『百人一首 乳母が絵解』 葛飾北斎 「草木国土悉皆成仏 (そうもくこくどしっかいじょうぶつ) 」、 この仏教思想が日本のロボットや漫画のキャラクターたちに命を吹き込んでいます。草も木も土や風
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2月26日読了時間: 11分


生涯をかけたイノベーター
№1 長生きした画家の勝利 19世紀フランスの平均寿命は40歳ほどでした。画家クロード・モネは86歳まで長生きしたおかげで、貫いてきた絵画表現が世界で認められた 恩恵を晩年にたっぷりと味わうことができました。 モネが若い頃、絵の新たな手法に挑戦する画家たちの作品は売れず、生活は困窮していました。その頃、 芸術家として生きていくためには公式美術展覧会サロン・ド・パリで入選することが必須でした。ところが古き慣習と権威を守ろうとする美術批評は、美術の革命家といえる 画家たちが描く絵に憤慨し嘲笑していたのです。そんなサロンに対抗して、 モネたちでグループ展を開催しましたが、出品された絵は「勉強不足だ」「未完成だ」などと酷評されます。 絵に印象しか描かれていないと感じた批評家ルイ・ルノワは、モネの絵のタイトル「印象派」を引用して、侮辱的な意味で「印象派たちの展覧会」という記事を書きます。これをモネたちは自分たちを表す言葉として自ら使うようになったのです。 『印象・日の出』1872年 クロード・モネ その頃、世界最大の工業国にのし上がってい
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2月26日読了時間: 17分


心で理解する情緒思考と日本文化
日本文化は、独特な情緒思考と美意識を背景にして形成されたものです。これには、目に見えないものを知覚で捉え、それを「文字」や「絵」に変換する文化が深く関わっています。俳句や浮世絵はその代表的な例であり、これらの表現方法は日本人の生活習慣や精神性に根付いています。 『紅白梅図屏風』 尾形光琳 自然との一体感 日本では、自然と自己の境界が曖昧であり、これは東洋的な思考に深く根ざしています。山や海、草木に至るまで自然と共鳴し、それを感知することで、主観と客観が一体となる「一円相」を理想とする文化が生まれました。 仙厓和尚「一円相画賛」 このような思想は、尾形光琳の『燕子花図屏風』や葛飾北斎の『富嶽三十六景』といった作品に顕著に表れています。 『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳 『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎 仏教思想である「草木国土悉皆成仏」によって、日本人は自然界のあらゆるものに生命や魂を感じ、これが現代のロボット文化やキャラクター文化にも影響を与えています。 自然と共生し、それを尊重する姿勢は、江戸時代の浮世絵や日本の伝統芸術にも
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2月26日読了時間: 3分


「不快」を「快」に変える力
日本文化の特異性: 「不快」を「快」に変える力 日本文化には、「不快」を「快」へと転換する力が根付いています。これはただ単に不快な状況を避けるのではなく、それを受け入れ、昇華させるというアプローチです。たとえば、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』に見られるように、風や雷という自然の荒々しさを美しい芸術として表現することで、自然の脅威さえも「快」に転じています。 『風神雷神図屏風』 俵屋宗達 また、歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』は、急な夕立という一見「不快」な状況を、視覚的に捉え、風情として描き出すことで、観る者に一種の「快」をもたらします。このような「不快」を「快」へと変える感覚は、日本の四季の変化や自然現象と深く結びついており、日常のあらゆる場面に息づいています。 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重 自然との共生: 東洋と西洋の視点 東洋における自然との共生は、日本の芸術において特に顕著です。尾形光琳の『燕子花図屏風』や葛飾北斎の『凱風快晴』は、自然と自己の境界が曖昧であるという東洋的な思想を反映
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2月26日読了時間: 5分


脳のOSをバージョンアップする画力
デッサン力が優れているということは、単に絵を上手に描けるということに留まりません。これは、情報を正確に観察し、それを明確に伝える能力、また物事の本質を見極めて、それを視覚化する力を意味します。 レオナルド・ダ・ヴィンチはその代表的な例であり、彼の作品に見られるデッサン力は、単なる技術的な巧みさを超えて、当時の科学や解剖学、哲学にまで深く根差していました。 ルネサンス期において、デッサンは単に芸術の技法としてだけでなく、知識と学問の手段としても用いられていました。特に、レオナルドは自然現象や人体の構造を正確に把握し、それをスケッチによって記録することで、現代に通じる科学的な視点を開拓しました。『ウィトルウィウス的人体図』や『子宮内の胎児』のようなスケッチは、その最たる例であり、これらの作品は単なる芸術作品ではなく、当時の解剖学や自然研究の一部でもありました。 『ウィトルウィウス的人体図』 1485年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ 『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ パルマ国立美術館 『子宮内の胎児が描かれた手稿』
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2月26日読了時間: 6分


こころを表現できる方法
歴史の波間に漂う芸術の魂。それは時代を超え、人々の心に深く刻まれる永遠の輝きを放つ。江戸の粋と現代の感性が交錯する世界で、私たちは新たな文学の地平を目指している。 『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿 かつて浮世絵師たちが描いた風景や人物は、単なる絵画ではなく、当時の人々の喜びや悲しみ、そして憧れを映し出す鏡であった。 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重 歌川広重が「東海道五十三次」で描いた旅路は、今もなお私たちの心に響く。それは単なる風景画ではない。旅人の足取りや、宿場町の喧騒、そして遠く望む富士の姿。そこには、江戸の人々が抱いた夢と希望が凝縮されているのだ。 現代の作家たちは、こうした先人の魂を受け継ぎながら、新たな表現を模索している。梶よう子の『広重ぶるう』は、単に浮世絵師の生涯を描くだけでなく、その作品に込められた想いや、当時の社会の空気感までも鮮やかに蘇らせる。それは、過去と現在を結ぶ架け橋となり、読者の心に深い感動を呼び起こすのだ。 『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』1
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2月26日読了時間: 4分


"好き"をパワーに変える魔法の杖
芸術の世界には、時として人知を超えた神秘が宿る。その神秘の源泉となるのが、芸術家たちの魂の叫びとも言えるエスキースだ。 エスキースの魔法 芸術家たちの創造の源泉 。芸術の世界において、エスキースは単なる下絵以上の意味を持つ。それは芸術家の魂が紙面に躍動する瞬間であり、創造の源泉となる神聖な儀式だ。歴史上の巨匠たちは、このエスキースという手法を駆使して、不朽の名作を生み出してきた。 エスキースとは単なる下絵ではない。それは、芸術家の内なる宇宙が外の世界へと溢れ出す瞬間の記録であり、創造の種が芽吹く瞬間の証なのだ。 レオナルド・ダ・ヴィンチの洞察力 ルネサンスの巨人、レオナルド・ダ・ヴィンチは、エスキースの達人であった。 Izabella 『モナ・リザ』1503 - 1505 1507年 レオナルド・ダ・ヴィンチ トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 1515年頃) レオナルド・ダ・ヴィンチ。その名を聞くだけで、私たちの心は15世紀のイタリアへと飛翔する。 彼の『最後の晩餐』のための準備スケッチには、人間の感情や動
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2月26日読了時間: 7分


選択自由 千の道、万の生き方
”自分らしさ”道は百も千も万もある 江戸の喧騒が近代へと移ろう幕末の世に、一人の志士が叫んだ。「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。」坂本龍馬のこの言葉は、時代を超えて今なお私たちの心に響く。それは、人生における無限の可能性と、自由な選択の大切さを説いているのだ。 坂本龍馬 日本の文化は、この多様性を尊重する精神を脈々と受け継いできた。江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』。 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重 その雨の表現は、西洋の画家たちを驚かせた。線で雨を視覚化するという発想は、当時の西洋にはなかったのだ。この独創性こそが、日本文化の真髄である。 芸術が開く新たな扉 『紅白梅図屏風』 尾形光琳 芸術は、私たちの目を開き、心を解放する力を持つ。尾形光琳の『紅白梅図屏風』や伊藤若冲の『群鶏図』を見れば、日常の中に潜む美しさや驚異に気づかされる。 『群鶏図』 宝暦11年(1761年)-明和2年(1765年)頃 伊藤若冲 それは単なる絵画ではない
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2月23日読了時間: 2分


求める夢を引き寄せる絵
人間の創造力は、単にアートやデザインに限られたものではありません。実生活の中でこそ、その真価が発揮されます。 創造的な行為は、私たちの思考を広げ、視点を変える力を持っています。それは、日常の中に埋もれている小さな奇跡や美しさに気づくことであり、見過ごされていたものが新しい意味を持ち始める瞬間です。 『_誕生日』1915年ン「ルク・シャガール』 例えば、 マルク・シャガール の『誕生日』(1915年)は、愛と幸福の瞬間を幻想的に描き出し、私たちに日常の中の特別な瞬間を思い出させます。また、 カミーユ・コロー の『モルトフォンテーヌの思い出』(1864年)は、自然の静けさと美しさが、どれだけ心に深く響くかを伝えています。芸術家たちは、どの時代においても新しい価値を見出し、社会変動と共にアートは進化し続けてきました。 『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー 絵に思いを描くことは、単なる自己表現にとどまらず、未来を引き寄せる力を持っています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ が『ウィトルウィウス的人体図』(1485年頃)で理想的な人
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2月23日読了時間: 3分


生きていてよかったと思っていただくこと
西洋と日本の美術と働き方の違いをめぐる議論は、単なる技法や習慣の対比ではありません。それは、文明がいかに人間の生き方を形づくり、どのように「働く」という普遍的な営みを彩ってきたかを映す大きな鏡なのです。 光と影、線と余白 ルネサンスの画家たちは、遠近法や解剖学を駆使し、自然を科学的に再構築しようとしました。 レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画技法の中に宇宙の力学を見出し、芸術と科学を架橋しました。 西洋の写実は「目に見える世界をいかに正確に写すか」という論理思考の表れです。 『最後の晩餐』1495-97年 レオナルド・ダ・ヴィンチ サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 ルネサンスのフィレンツェでは、絵画の「光と影」が人間中心の思想と結びつき、都市は富と知の舞台となりました。 社会は職人や学者、銀行家を含めて巨大な「分業の劇場」となり、各人は合理性に基づき役割を果たすことを期待されました。 明暗の秩序を布置するカラヴァッジョの筆は、同時に西洋社会における「仕事の秩序」を映すものでもあったのです。 『聖マタイの召命』1600年 カラヴァッジオ...
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2月23日読了時間: 5分


ダ・ヴィンチ デッサン
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿 15世紀末のイタリア、ルネサンスの華やかな時代。芸術と科学の融合を体現した天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿は、時を超えて私たちに語りかけてくる。その手稿の一枚一枚には、世界を理解しようとする飽くなき探求心が刻まれている。 『トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像』1513年 1515年頃 『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より 『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より 『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より 絵(デッサン)を描くときにも「よくみる」ことが基本ですが、これは「必要な情報を見極め、的確に捉える。物事を理解する」ということ。何かを理解するときに五感を使って知覚することは重要な役割をはたしている。 普段、目にしている物事を絵に描くつもりで観てみるといろんなことに気づきだす。 絵は、思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けない。 物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、 書物と様に「読みとく」「理解」する感覚が大切。 『レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿』より ...
sfumita7
2月23日読了時間: 11分


美術家として生きる。
郷里 鹿児島でお世話になった学芸員の方から、南日本新聞で掲載された「南日本美術展80年」で、 父 文田哲雄が第三回、第五回で文田兄弟が採り上げられた記事を知らせていただきました。 大学受験で東京に上京してからも、父から「地元を大切に」と美術家として 鹿児島の文化に貢献する活動を続けていました。 地元鹿児島の文化の歴史に親子で名を残せたことがとても嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。 美術家として生きてきてよかった。 南日本新聞20251126_05_文田聖二 南日本新聞20251120_03_文田哲雄
聖二 文田
2025年12月16日読了時間: 1分


直観の覚醒 アートのロジック
『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳 共存して生きるための進化 植物には、強風に耐えるしなやかな草花、高く伸びる木々、触ると開く不思議な葉、虫を呼び寄せる鮮やかな花びらなど、さまざまな形や特徴の違いがあります。それぞれの特徴は、その地の環境や季節が大きく影響しています。 『北斎漫画』 『北斎漫画』 日本の「桜」やハワイの「プルメリア」などその国を象徴する植物があるのも、国によって違う環境や季節が、独自の植物を生み出していった結果といえるでしょう。人間と同じように、植物も長い時間をかけてその地に適した進化をとげていったのです。 深い森の中でうっそうと咲き乱れている植物は、雑多なように見えて実は絶妙なバランスを保ちながら共生しています。冬に咲く花、日光を浴びるために高く伸びる木々、日陰でも生き続けるコケ類……。それぞれの植物が与えられた環境の中で生き残るために順応してきた結果、それぞれの形や特徴、性質を持ち備えていったのです。 『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー これらさまざまな植物が、その特性を生かし枯か
聖二 文田
2025年12月15日読了時間: 6分


日本文化は 心で理解する情緒思考
日本文化は、独特な情緒思考と美意識を背景にして形成されたものです。これには、目に見えないものを知覚で捉え、それを「文字」や「絵」に変換する文化が深く関わっています。俳句や浮世絵はその代表的な例であり、これらの表現方法は日本人の生活習慣や精神性に根付いています。 『紅白梅図屏風』 尾形光琳 自然との一体感 日本では、自然と自己の境界が曖昧であり、これは東洋的な思考に深く根ざしています。山や海、草木に至るまで自然と共鳴し、それを感知することで、主観と客観が一体となる「一円相」を理想とする文化が生まれました。 仙厓和尚「一円相画賛」 このような思想は、尾形光琳の『燕子花図屏風』や葛飾北斎の『富嶽三十六景』といった作品に顕著に表れています。 『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳 『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎 仏教思想である「草木国土悉皆成仏」によって、日本人は自然界のあらゆるものに生命や魂を感じ、これが現代のロボット文化やキャラクター文化にも影響を与えています。 自然と共生し、それを尊重する姿勢は、江戸時代の浮世絵や日本の伝統芸術にも
聖二 文田
2025年12月15日読了時間: 3分


日常に埋もれたものの発見がアート
この言葉は、過去と未来が交差する瞬間にこそ、私たちが本当の意味で幸福を感じられることを表しています。 日々の生活の中で感じる些細なこと、当たり前の出来事をどれだけ深く観察し、そこからどんな学びを得られるか。創造力は、単にアートの世界にとどまらず、我々の日常にも浸透しているのです。 創造性は、目の前に広がる平凡な風景を再構築し、私たちが見落としていた「奇跡」に気づかせてくれるものです。アートに触れると、世界が変わるわけではありませんが、その見え方が変わることで、日常の中に埋もれていた美しさが浮かび上がるのです。 芸術家であると同時に自然科学者でもあった レオナルド・ダ・ヴィンチ は、「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と、 人間がいかに無意識に物事を捉え、感じることなく日々を過ごしているかを嘆きました。 彼の言葉には、日常の小さな発見がどれほど大きな価値を持つかが隠されています。 トリノ王宮図書館が所蔵する
聖二 文田
2025年12月13日読了時間: 2分


脳で観ると見えるアート
人間の脳が視覚情報の処理に多大なリソースを割くという事実は、絵画芸術の持つ力を如実に物語っている。 一枚の絵画を前にして立ち尽くす時、私たちの脳は活性化し、五感が研ぎ澄まされる。 それは単なる鑑賞ではなく、画家の魂との対話であり、時空を超えた精神の交歓なのだ。 17世紀オランダの巨匠フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を見よ。 『牛乳を注ぐ女』1658年 ヨハネス・フェルメール 日常の一瞬を切り取った光景でありながら、そこには永遠の美が宿る。画家の鋭い観察眼と繊細な筆致が、平凡な家事の中に潜む崇高さを見事に捉えている。 フェルメール『牛乳を注ぐ女』の背景 フェルメールの『牛乳を注ぐ女』は、17世紀オランダ絵画の傑作として知られており、以下のような興味深い背景を持っています: 制作時期と題名 1657年から1658年頃に描かれたとされています。オランダ語の原題は『Het Melkmeisje』(英語では『The Milkmaid』)で、「ミルクメイド」を意味します。 描かれた人物 実際には低級の家事使用人や台所担当の召使い(キッチンメイド)を描いています
聖二 文田
2025年12月8日読了時間: 7分
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