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画家志望だった映画監督
映画監督の色へのこだわり 色は、白と黒の濃淡で表現できる。まさにこの理屈でモノクロ映画の美しさを表現した人物がいます。 映画『羅生門』(1950 年)など、数々の名作で世界を魅了した黒澤明監督です。 『7人の侍』 当時、モノクロ映画は映像の美しさを追求するものではありませんでしたが、彼は「光と陰による色の効果」を利用して、モノクロ映画に色を感じさせることにこだわりました。 それは彼が元々映画監督志望ではなく、画家志望だったからなのです。 画家志望だった黒澤監督は、印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホの絵にあこがれていました。ゴッホの絵といえば、感情をむき出しにしたような鮮烈な色合いが特徴です。 『自画像』1887年春 フィンセント・ファン・ゴッホ そうした背景もあり、黒澤監督はとくに撮影するセットや衣装、背景の配色にはこだわっていました。 侍が刀で斬り合い、吹き出す鮮血を墨汁にするなど、映像がモノクロ化されたときの濃淡をイメージしながら、撮影する対象の配色を意識していたのです。 「モノクロ」の映像で、どれだけ「カラ
聖二 文田
19 時間前読了時間: 3分


『アートと社会』
文化的なことは、不要不急なことではない。 ” 日本国憲法第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障 及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 ” こんな時だからこそ、 文化的な時間を過ごすことが大切。 「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会をつくり、授かりものを忘れてしまった」理論物理学者アルベルト・アインシュタイン 人の脳に備わる本当に大切な能力、知覚・直感・想像力・創造力を近代社会や教育で、ないがしろにしてきたことが現代に影響しているのです。 ① 社会で求められる人材 ・相手の視点で発想し工夫できる ・社会情勢や環境変化に対応できる ・様々な環境から物事を捉えられる ・積極性がある ② 社会に役立つアート(レッスン)のノウハウ Ⅰ:見つける力 =察知・予測・リサーチ力 ・問題を的確に発見する情報収集 Ⅱ:考える力 = 視点、考え方の発見・発想 ・テーマ(目的)に添った情報整理(応用力・
聖二 文田
19 時間前読了時間: 6分


美術家として生きる。
郷里 鹿児島でお世話になった学芸員の方から、南日本新聞で掲載された「南日本美術展80年」で、 父 文田哲雄が第三回、第五回で文田兄弟が採り上げられた記事を知らせていただきました。 大学受験で東京に上京してからも、父から「地元を大切に」と美術家として 鹿児島の文化に貢献する活動を続けていました。 地元鹿児島の文化の歴史に親子で名を残せたことがとても嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。 美術家として生きてきてよかった。 南日本新聞20251126_05_文田聖二 南日本新聞20251120_03_文田哲雄
聖二 文田
1 日前読了時間: 1分


アートのロジック ちからの覚醒
人も自然の一部 自然の存在を感じていないということは、直観が鈍くなっているといえます。郷里の鹿児島の生活の中では、強い日差し、台風の脅威、桜島の噴火といった自然の存在を強く感じるのです。 鹿児島の人だけではないが、自然の存在を感じながら生きている人たちは、それが強ければ強いほど感性や直感が鈍らないのだと思われます。なぜなら 人も自然の一部だから。 最近はその恩恵を富士山や高尾山、近所の公園からも感じています。 寄り添う自然 植物には、強風に耐えるしなやかな草花、高く伸びる木々、触ると開く不思議な葉、虫を呼び寄せる鮮やかな花びらなど、さまざまな形や特徴の違いがあります。それぞれの特徴は、その地の環境や季節が大きく影響しています。 『北斎漫画』 『北斎漫画』 日本の「桜」やハワイの「プルメリア」などその国を象徴する植物があるのも、国によって違う環境や季節が、独自の植物を生み出していった結果といえるでしょう。人間と同じように、植物も長い時間をかけてその地に適した進化をとげていったのです。 深い森の中でうっそうと咲き乱れている
聖二 文田
2 日前読了時間: 6分


アートのロジック 独創性のルーツ
創造のコツは、それがどこから得たものかわからないようにすること。 個性とは、選択して構築してきた情報の違い。 美とは、心揺さぶられたこと。 独創性とは、欲求、興味で選んで記憶している情報素材を新鮮な気持ちになれる組み合わせで再構成されること。 『アビニヨンの娘たち』1907年-1908年 パブロ・ピカソ 生きざまがせつない芸術家 ”家族を守れなかった頼れるお父さん” 【名前】 ネアンデルタール人 【芸術活動】 彫刻制作/歌 『ブリュニケル洞窟ストーンサークル』 ・意思疎通は語彙力ではなく、歌って思いを伝える表現力 諸説ありますが、さまざまな壁画を描き残しているクロマニョン人に対して、ネアンデルタール人は象牙を素材とした彫刻『ライオンマン』などの彫刻(立体)を造っていました。また、ミュージカルのように歌でコミュニケーションをとっていたといわれる芸術家ネアンデルタール人は、現代人より大きな頭(脳)と強靭な肉体を使って、身の回りにある様々なものを利用し工夫して投てき具など人の機能を補完する道具を次々に造り出してい
聖二 文田
2 日前読了時間: 7分


アートのロジック 芸術×技術×学術
月の引力の影響が海や人の血流までにおよぶことや地球の自転で水の流れが変わったり、 宇宙に存在する(可視できないものも)すべてがねじれていたりと素直に考えると存在するそれぞれが宇宙の構造を持っていると感じる。 夜空や青空だけではなく、人の意識や感情にも宇宙を感じて面白い。 科学者ガリレオ・ガリレイが低倍率の望遠鏡で月のクレーター(凸凹)を発見できたのは 彼が水彩画を描くことで 陰影により奥行きや立体を表現していく観察眼を身につけていたから。 芸術的な素養としての美意識を磨いている人はサイエンスの領域でも高い知的パフォーマンスを上げている。 思い込みで、判断を誤る。 よく観ないと世界は見えてこない。 多角的な視点が大切 普段、知っていると思い込んでいる物事を絵に描くといろんなことに気づきだす。絵は思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けない。 物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物の様に「読みとく」「理解」する感覚が大切。絵を描くと知らないことに気づき「観る」習慣が身につく。 創造性はアートの世界だけではなく、 繰り返される
聖二 文田
2 日前読了時間: 2分


”不快”と”快”は紙一重
日々、暮らしていけることが、どれだけ幸せなことかを気づくために創造力がある。 創造性はアートの世界だけではなく、 繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。 放っておけば 平凡で代わり映えもしない日々を繰り返してしまいがち。 そんな暮らしにアートは 生気に溢れた人生に転機してくれる。 アートで、暮らしに彩をそえる。 自分の視座・視野・視点が変わることで世界の見え方が変わる。 アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、 当たり前のこととして見過ごしている”日常の奇跡”に気づいて、 視座が変わり視野が広がって視点が多角化して、 結果的に今までの日常が変わる。 『レオナルド・ダ・ヴィンチは』 凡庸な人間は 「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、 体を意識せずに動かし、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」 と嘆いていた。 トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 1515年頃) 『日常に感動できる人は幸福』 「よく観る」習慣があって、身近な自然に触れているなど...
聖二 文田
2 日前読了時間: 7分


アートシンキング 日常に感動できる人は幸せ
創造性はアートの世界だけではなく、 繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。 自分の視座・視野・視点が変わることで世界の見え方が変わる。 アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、 当たり前のこととして見過ごしている”日常の奇跡”に気づいて、 視座が変わり視野が広がって視点が多角化して、 結果的に今までの日常が変わる。 人と同じ情景を見ていても 情報の捉え方で 違う感情、考え方が生まれる。 多角的な視点で情報を捉えなければ、真実は見えてこない。 情報の捉え方の違いで、判断が大きく大きく変わる。 『クリスティーナの世界』 1948年 アンドリュー・ワイエス 『見えないものが見えるようになる』 若冲の「群鶏図」にみられるような驚異的な細密描写と オディロン・ルドンの顕微鏡で覗き見るような絵の世界観には共通点がある。 いずれも表面的な写実描写に留まらず、 リアルな仮想世界にまで到達して描いている。 『群鶏図』 宝暦11年(1761年)-明和2年(1765年)頃 伊藤若冲 『花瓶の花』1912年-1914年 オディロン・ルドン 『見ている
聖二 文田
2 日前読了時間: 8分


アートのロジック 心で理解する情緒思考 日本文化
日本人は、”不快”を”快“に(解決)する文化を持っている。 日本文化は、見えない(五感で捉えた)物事を“文字(俳句)”や“絵(浮世絵)”に 可視化してきたビジュアル(美意識)文化。 ”観察”とは、「よく観て、察する」こと、「気づく」こと、「気づかい」。 生活習慣に根付いた美意識。 気づいたときに感覚が研ぎ澄まされる。 葛飾北斎 画 葛飾北斎 『北斎漫画』より 東洋においては、自然と自己の境界はあいまいなので、人間だけではなく、山や海、空や雲、あるいは名もなき雑草、雑木、めだかやトンボでも、本気で向き合い描いています。 つまり、自己は自然を感知しているか否か、自然も自己を感知しているか否かだけではないと感じる故、主観と客観が一円相になることを理想とし、それを象徴的に表現することを望んできたように思われます。 『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳 『百人一首 乳母が絵解』 葛飾北斎 「草木国土悉皆成仏 (そうもくこくどしっかいじょうぶつ) 」、 この仏教思想が日本のロボットや漫画のキャラクターたちに命を吹き込んでいます。草も木も土や風
聖二 文田
2 日前読了時間: 11分


アートのロジック 生涯をかけたイノベーター
№1 長生きした画家の勝利 19世紀フランスの平均寿命は40歳ほどでした。画家クロード・モネは86歳まで長生きしたおかげで、貫いてきた絵画表現が世界で認められた 恩恵を晩年にたっぷりと味わうことができました。 モネが若い頃、絵の新たな手法に挑戦する画家たちの作品は売れず、生活は困窮していました。その頃、 芸術家として生きていくためには公式美術展覧会サロン・ド・パリで入選することが必須でした。ところが古き慣習と権威を守ろうとする美術批評は、美術の革命家といえる 画家たちが描く絵に憤慨し嘲笑していたのです。そんなサロンに対抗して、 モネたちでグループ展を開催しましたが、出品された絵は「勉強不足だ」「未完成だ」などと酷評されます。 絵に印象しか描かれていないと感じた批評家ルイ・ルノワは、モネの絵のタイトル「印象派」を引用して、侮辱的な意味で「印象派たちの展覧会」という記事を書きます。これをモネたちは自分たちを表す言葉として自ら使うようになったのです。 『印象・日の出』1872年 クロード・モネ その頃、世界最大の工業国にのし上がってい
聖二 文田
2 日前読了時間: 17分


アートのロジック ”不快”を”快”にする文化
文化(美術共育)で社会貢献する 日本は、見えない(五感で捉えた)物事を“文字(俳句)”や“絵(浮世絵)”に 可視化してきたビジュアル(美意識)文化 『風神雷神図屏風』 俵屋宗達 日本人は、”不快”を”快“に(解決)する文化を持っている 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重 ・ ”観察”とは、「よく観て、察すること」「気づくこと」「気づかい」 『紅白梅図屏風』 尾形光琳 日本の生活習慣に根付いた美意識 『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳 東洋においては、自然と自己の境界はあいまいなので、人間だけではなく、山や海、空や雲、あるいは名もなき雑草、雑木、めだかやトンボでも、本気で向き合い描いています。つまり、自己は自然を感知しているか否か、自然も自己を感知しているか否かだけではないと感じる故、主観と客観が一円相になることを理想とし、それを象徴的に表現することを望んできたように思われます。 『北斎漫画』 葛飾北斎 「草木国土悉皆成仏」、 この仏教思想が日本のロボットや漫画のキャラクターたちに命を吹
聖二 文田
2 日前読了時間: 6分


アートのロジック 脳に効く芸術と科学
芸術家であり自然科学者でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチは 凡庸な人間は”注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、 味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、 考えずに歩いている” と嘆き、あらゆる楽しみの根底には、感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していました。 芸術は、「知覚」を機能させて表現していく”業”ですが、その業が、芸術作品を創作する限られた目的のためだけではなく、一般的な仕事や暮らしの中でこそ、その効用を活かせていける。 『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿 芸術家は、知覚を見つめることで、感覚と脳の仕様で決められた「可知域(知ることができる範囲)の内側」で芸術表現の試行錯誤をしてきた。画家の作品をのぞくことは、すなわち知覚の仕組みをのぞくこととおなじといえる。 作家オスカー・ワイルドの言葉 “Before Turner there was no fog in London.” 「ターナー以前に、ロンドンに霧はなかっ
聖二 文田
2 日前読了時間: 17分


アートシンキング 文化的な生き方は他人に左右されない
「自分らしさ」とは、固定された概念ではなく、時代や社会の流れに応じて変化し、多様な選択肢が存在するものである。坂本龍馬が「人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある」と語ったように、自己を表現する方法や生き方は無限にある。 芸術家たちは、いつの時代もその時代背景とともに新たな価値を創造し、社会に変革をもたらしてきた。彼らは、自らの感性を信じ、他者に流されずに自分だけの道を歩んできたのである。 創造性の力 創造性は、芸術家や一部の特別な人々だけに必要なものではなく、すべての人々にとって重要な資質である。例えば、江戸時代の浮世絵師たちが、日常の中に美を見出し、それを作品に昇華させたように、私たちも日々の生活の中で創造性を発揮することで、日常を特別なものに変えることができる。日本の浮世絵や俳句は、まさにそうした日常の中に潜む美を捉えたものであり、それは現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれる。 気づきと自己表現 「見えないものが見えるようになる」という若冲の「群鶏図」や、ルドンの幻想的な作品は、表面的な現実の向こう側にある真実を捉える力を示
聖二 文田
2 日前読了時間: 11分


心で理解する情緒思考と日本文化
日本文化は、独特な情緒思考と美意識を背景にして形成されたものです。これには、目に見えないものを知覚で捉え、それを「文字」や「絵」に変換する文化が深く関わっています。俳句や浮世絵はその代表的な例であり、これらの表現方法は日本人の生活習慣や精神性に根付いています。 『紅白梅図屏風』 尾形光琳 自然との一体感 日本では、自然と自己の境界が曖昧であり、これは東洋的な思考に深く根ざしています。山や海、草木に至るまで自然と共鳴し、それを感知することで、主観と客観が一体となる「一円相」を理想とする文化が生まれました。 仙厓和尚「一円相画賛」 このような思想は、尾形光琳の『燕子花図屏風』や葛飾北斎の『富嶽三十六景』といった作品に顕著に表れています。 『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳 『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎 仏教思想である「草木国土悉皆成仏」によって、日本人は自然界のあらゆるものに生命や魂を感じ、これが現代のロボット文化やキャラクター文化にも影響を与えています。 自然と共生し、それを尊重する姿勢は、江戸時代の浮世絵や日本の伝統芸術にも
聖二 文田
2 日前読了時間: 3分


アートのロジック 画家がギリシャ像を描いてきた理由
画家がギリシャ像を描いてきた理由と社会的・歴史的背景 「石膏デッサン」は、単に対象物を正確に写し取ることではなく、多角的な視点からモチーフを理解し、その「印象」や「らしさ」を捉える作業です。 ギリシャ婦人像 胸像 日本では写実主義絵画として、細密描写が強調されがちですが、西洋では「生と死」をテーマにしたリアリズムが重要視され、腐敗した果実や骨などもモチーフとして描かれてきました。これは、単なる視覚情報以上に、五感を通じて脳で認識する情報を描き出すという点で、写真とは異なる芸術表現です。 五感を表現した静物画 石膏像とギリシャ彫刻の歴史的背景 古代ギリシャ彫刻は、その多くが宗教的な目的から生まれました。初期のギリシャ芸術では、崇高美や調和美が追求され、神々の像が作られていましたが、ヘレニズム期に入ると、より人間的な表現が加わり、リアルでダイナミックな彫刻が生まれました。この時期の彫刻は、もはや単なる宗教的シンボルではなく、芸術そのものの価値が高まりました。 こうした背景から、ギリシャ彫刻は時代を超えて多くの芸術家たちに模倣され、石膏像として
聖二 文田
2 日前読了時間: 6分


アートのロジック 絵師の遺伝子
画家と絵師 西洋絵画と日本絵画は、その根本的な思想や表現方法において、大きく異なる特徴を持っています。 『雪中虎図』 葛飾北斎 西洋絵画は「絵で埋める」文化が根強く、細部まで丹念に描きこまれることが多くあります。たとえば、ジョン・エヴァレット・ミレーの『オフィーリア』(1851-52年)では、背景に描かれた草花には象徴的な意味が込められており、各要素が物語の深層にリンクしています。ヤナギは見捨てられた愛を、イラクサは苦悩を、ヒナギクは無垢を、パンジーは愛の虚しさを、そして首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折を、ケシの花は死を意味しています。このように、西洋絵画では、細部の描写が全体の物語や感情を深く伝える役割を果たしており、背景と前景が密接に関連しています。 『オフィーリア』 1851-52年 ジョン・エヴァレット・ミレー 一方、日本の絵画においては「余白」が重要な要素となります。日本人は「描くべきものだけを描き、あとは余白にする」という美意識を持ち、余白は空間の表現として、想像力や精神性を映し出す場として捉えられます。 ...
聖二 文田
2 日前読了時間: 4分


「不快」を「快」に変える力
日本文化の特異性: 「不快」を「快」に変える力 日本文化には、「不快」を「快」へと転換する力が根付いています。これはただ単に不快な状況を避けるのではなく、それを受け入れ、昇華させるというアプローチです。たとえば、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』に見られるように、風や雷という自然の荒々しさを美しい芸術として表現することで、自然の脅威さえも「快」に転じています。 『風神雷神図屏風』 俵屋宗達 また、歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』は、急な夕立という一見「不快」な状況を、視覚的に捉え、風情として描き出すことで、観る者に一種の「快」をもたらします。このような「不快」を「快」へと変える感覚は、日本の四季の変化や自然現象と深く結びついており、日常のあらゆる場面に息づいています。 『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重 自然との共生: 東洋と西洋の視点 東洋における自然との共生は、日本の芸術において特に顕著です。尾形光琳の『燕子花図屏風』や葛飾北斎の『凱風快晴』は、自然と自己の境界が曖昧であるという東洋的な思想
聖二 文田
2 日前読了時間: 5分


思いを絵に描くと実現を引き寄せる
人間の創造力は、単にアートやデザインに限られたものではありません。実生活の中でこそ、その真価が発揮されます。 創造的な行為は、私たちの思考を広げ、視点を変える力を持っています。それは、日常の中に埋もれている小さな奇跡や美しさに気づくことであり、見過ごされていたものが新しい意味を持ち始める瞬間です。 『_誕生日』1915年ン「ルク・シャガール』 例えば、 マルク・シャガール の『誕生日』(1915年)は、愛と幸福の瞬間を幻想的に描き出し、私たちに日常の中の特別な瞬間を思い出させます。また、 カミーユ・コロー の『モルトフォンテーヌの思い出』(1864年)は、自然の静けさと美しさが、どれだけ心に深く響くかを伝えています。芸術家たちは、どの時代においても新しい価値を見出し、社会変動と共にアートは進化し続けてきました。 『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー 絵に思いを描くことは、単なる自己表現にとどまらず、未来を引き寄せる力を持っています。 レオナルド・ダ・ヴィンチ が『ウィトルウィウス的人体図』(1485年頃)で理想的な
聖二 文田
4 日前読了時間: 3分


アートシンキング 楽しさの開放
子供は、遊びの天才。ドキドキワクワク感で生きている。毎日が、のめり込めることで溢れている。例えば、絵を描く時間も”楽しいこと”のひとつでした。 壁や地面に描いた絵、クレヨンで描いた夏休みの思い出、着てみたいドレスや試してみたい髪型の絵、絵ハガキ、友達や先生の似顔絵、教科書に描いたラクガキ……。子どものころを思い起こせば、ほとんどの人にとって絵は身近な存在だったと思います。今、絵が苦手という人はいつから描くことが楽しくなくなったのでしょう。 『魚の魔術』 パウル・クレー 幼いころは、描く絵に「正解」を決めつけていなかったので、うまいもへたもなくワクワクして好きな色で自由自在に塗ったり線を描いたりしていました。 それが年頃になるにつれ、人によっては漫画やアニメのキャラクターを描き写したい欲求が出てきて、上手に描けるクラスの人気者と比べてしまい、絵を描く才能の有無を決めつけていったのではないでしょうか。 あるいは美術館や画集、美術の教科書などで写真のように描かれた写実絵画や個性的な名画に出会ったときに「自分には画家のような絵を描くこと
聖二 文田
4 日前読了時間: 4分


目で見ているのではなく脳で観ている
『なぜアートが有効なのか』 人間の脳は、視覚情報を処理する際に驚異的なエネルギーを注いでいます。視覚を司る脳の領域は約25%を占め、視覚に関わる神経経路の65%以上が使用されるという事実は、視覚が他の感覚に比べていかに大きな影響を及ぼしているかを示しています。 美しいと感じるものや名画を観ると、脳内で報酬回路が活性化し、その美しさを再現しようとする欲求が生まれます。この「美しさ」の体験は、記憶として前頭葉に刻まれ、美意識の向上へと繋がります。 これが「美しい生活・美しい仕事・美しい人生」として反映され、私たちの生活の質そのものが向上していくのです。 『観察力を磨くことの意義』 アートのもう一つの力は、観察力や洞察力を高める点にあります。例えば、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』(1658年)のように、画家はただ単に日常の瞬間を描写するのではなく、そこに潜む物語や光と影の微妙な変化までを捉えます。 『牛乳を注ぐ女』1658年 ヨハネス・フェルメール こうした名画に潜む細部を読み解く力は、現代社会における様々な職業や日常生活
聖二 文田
4 日前読了時間: 3分
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