明日がくる限り、常に新しい自分を建立していく
誰かの出した答えを目指す必要はない。答えはいつも自分で創造していくもの。戦争の悲しみ、憎しみ、悔しさ、苦しさ…が表現された『ゲルニカ』。
ドイツ兵から「この絵を描いたのはお前か。」と聞かれた近代美術の巨匠ピカソは
「この絵を描いたのは、あなたたちだ。」と答えた。
『ゲルニカ』1937年 パブロ・ピカソ
より良い社会・文化を次世代に継承し、成長が持続する未来を創造する力を育てるために美術教育を追求し続けることが社会貢献であると考えています。
アインシュタインが「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会をつくり、授かりものを忘れてしまった。」と嘆いていました。
日本においても人の脳に備わる最も大切な能力(知覚・直感・想像力・創造力)を近代の社会や教育で、ないがしろにしてきたことが現代に影響しています。
1921年、ウィーンでの講義中のアルベルト・アインシュタイン
また、「やっかいなのは、何も知らないということではない。実際は知らないのに知っていると思い込んでいることだ。」とマーク・トウェインが提唱しています。
すべての教育において創造性が大切だということです。自分でみつけること、理解できることへの喜び、創造することの楽しさに気づいて成長できることこそが“学び”なのです。
誰でも造形能力を持っている
1919年 、世界初の本格的デザイン教育機関としてドイツのワイマールに創立された「バウハウス」は、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校です。
それまでにもヨーロッパ各地には芸術学校は存在しましたが、それらは全て、ある程度の才能がある人間しか受け入れてなかったのですが、バウハウスは「誰でも造形能力を持っている」ということを前提に芸術教育をカリキュラム化しました。
バウハウス:ドイツ語で「建築の家」を意味する。
『bauhaus』 山脇巌
・ナチスにより1933年に閉校(14年間 開校)
※ヒトラーの美術批評の基準は、ルネサンス芸術にあり、19世紀後半以降に
生じた芸術のほとんどすべてが彼にとっては「堕落」であった。
それぞれの答えをもつ芸術家
何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいます。絵にしても小説にしても勉強、仕事や遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があるということです。だから芸術の本当の魅力は、才能ではなく”強い想い”から浮き彫りになっていく作者自身の生きざまとそこから生まれた独特な表現なのです。
富嶽三十六景『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎
芸術家は十人十色で、それぞれが違った生き方をしています。それだけ生き方にはたくさんの選択肢があるということです。芸術家自身と創造したアート作品は「気質、習慣、思いの強さ、誰かの支え、出会い、環境、…」とさまざまな境遇(組み合わされた条件)の違いによって異なる魅力や特徴、それぞれが唯一無二のものとして構築されたといえます。
幕末志士の坂本龍馬が『人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。』と語っていたように、アカデミックな美術教育を受けていなくても、誰でも十人十色の自分らしさを見つけて表現すれば芸術家といえるのです。
みんなクリエイターになれる
創作は、本質に向かうから面白い。 本質に触れると楽しい。 芸術、芸能、スポーツなど特殊な分野、職種だけではなく 日常的な生活、仕事そのものに 創造性が求められてきている。 創造性を意識すると毎日の作業が創作に変わり、 やりがいや生きがいを感じられる。
『自分で気づいたこと、実感できたことが身についている』
美術だけではなく学校教育での評価の問題は本当に難しいと感じます。現在、文部科学省は未曽有の教育大改革(高大接続など含み)に取り組んでいるますが、実は”評価”の問題が大きなカギを握っていると考えています。企業研修でもプログラム内容よりも成果・成績をどういった視点で判断するかなど社会においても人材育成の評価について見直しが必要とされている思います。
絵を学ぶということ
実はものの観方、多角的な捉え方・考え方、伝え方を学ぶということであり、それは単に漠然と目で見ることよりも多くのことを意味しています。ものごとを前とは違うやり方で観ることができます。その身につけた技能を応用して一般的な思考や問題解決の能力を高めることができるのです。
アートは不要不急の贅沢とは違います。生きていくために雨風をしのげる屋根や壁はあっても窓や非常口のない建物の中で仕事や生活していると人生が不安で貧しく荒んだものになってしまいます。
疲弊する心に活力と開放感を与えられるアートは人生に必要不可欠なもの。社会が注目しているアート思考、求められている創造性とは疲弊した心に活力を与えられる希望の力、不快を快に「価値変換」していける力ともいえます。
『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』 1857年 歌川広重
アート思考の基本
『0から10まで成長するには』
①0を1にする = 無いものを創造する
②1から9にする =既存のものを統計的に判断し効率よく作業する
③9を10に引き上げる =成長の限界にきたときに新しい価値観を創造する
②は、AIが進歩していく能力①と③は、人にしかできないこと
それが、アート
芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチは、凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いていました。
また、絵を美しく描くことだけでは満足しないダ・ヴィンチは、「空、樹木、人間、花、動物」がいかに存在し、たがいにいかに関係しあっているのか、自分の目で見、自分の手でつかむことで描くすべてのことを理解しようとしていました。
絵に描くことで「よく観ること・よく理解すること」ができるのです。
絵を描くことは、 絵のプロになるためだけに必要なことではありません。絵の描き方を習うということは、じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味している。よく観て繰り返し絵を描くことで 本当のことに気づいていくのです。
読み書きを学ぶ国語の授業は、小説家など言葉のプロを生み出すためだけの学びではなく、社会で生きていくために必要なものです。
数学も歴史の授業も専門家を育てることだけが目的ではないように、絵を観たり表現したりする美術(アート)の授業も絵の上手い下手の評価ではなく、「観察力・思考力・伝達力」の感覚を磨いて生きる力を身につけていく大切な時間なのです。
デッサン力があるということは、絵の上手い下手の違いではなく、情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力です。 頭の中のイメージ(ビジョン)を絵に描き出す感覚を磨くことが、日常生活や一般的な仕事で見直されてきています。
デッサンで必要な観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力です。 このリサーチ力、伝達力は絵を描くことにとどまらず、様々な仕事にも必要とされています。
普段、知っていると思い込んでいる物事を絵に描くと知らなかったことをいくつも気づくことができます。絵は思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けません。
物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物の様に「読みとく」「理解」する感覚が大切です。絵を描くことで、知らなかったことに気づくので日常的に「よく観る」習慣が身についていきます。
よく観ないと世界は見えてこない
月の引力の影響が海や人の血流までにおよぶことや地球の自転で水の流れが変わったり、
宇宙に存在する(可視できないものも)すべてがねじれていたりと素直に考えると存在するそれぞれが宇宙の構造を持っていると感じます。
科学者ガリレオ・ガリレイが低倍率の望遠鏡で、月のクレーター(凸凹)を発見できたのは、彼が水彩画を描くことで 陰影により奥行きや立体を表現していく観察眼を身につけていたからです。
芸術的な素養としての美意識を磨いている人は、サイエンスの領域でも高い知的パフォーマンスを上げています。
思い込みで、判断を誤る
よく観ないと世界は見えてこない
多角的な視点が大切
修行ではなく楽しみ続ける
絵を描くことも 仕上がった達成感というよりは 「もっと良くしたい、もっと描きたい」 といった過程で成長が加速し続けます。
だから新作を描き続けるクリエイターは高齢でも元気な人が多いのです。
『幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える』
by フランスの経済学者ダニエル・コーエン
絵を描くことを生涯、修行ではなく楽しみ続けた画家 印象派の巨匠、病床のピエール・オーギュスト・ルノワールは 最後にアネモネの絵を描きました。
「ようやく何かがわかりかけた気がする。」という言葉を残し、その夜に亡くなったそうです。78歳でした。
『アネモネ』1883年90年 ピエール=オーギュスト・ルノワール
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