日々、暮らしていけることが、どれだけ幸せなことかを気づくために創造力がある。
創造性はアートの世界だけではなく、繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。
自分の視座・視野・視点が変わることで世界の見え方が変わる。
アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、
あまりにも日常的で当たり前のこととして見過ごしている”奇跡”に気づいたり、見直したりして、視座が変わり視野が広がって視点が多角化して、結果的に今までの日常が変わる。
芸術家たちは
いつの時代も新しい価値を探し求めて、未知の領域への挑戦を繰り返してきた。
だから、時代時代に必要とされるアートが社会変動と共に変貌し続けている。
ターシャ・テューダー
"気づき"のつぶやき
『見えないものが見えるようになる』
若冲の「群鶏図」にみられるような驚異的な細密描写と
オディロン・ルドンの顕微鏡で覗き見るような絵の世界観には共通点がある。
いずれも表面的な写実描写に留まらず、
リアルな仮想世界にまで到達して描いている。
『群鶏図』 宝暦11年(1761年)-明和2年(1765年)頃 伊藤若冲
『花瓶の花』1912年-1914年 オディロン・ルドン
『デッサン力があるということは』
絵の上手い下手の違いではなく、情報を収集する力や伝達する能力、
ものごとの構造を見極められることや
構想している計画・企画を具体的に展開していく能力。 頭の中のイメージ(ビジョン)を絵に描き出す感覚を磨くことが、
日常生活や一般的な仕事で見直されてきている。
『見ているようで観ていない』 よく観るということは 意識して確認するということ、 事実を確認して、思い込みではなく 本当のことに気づいていくということ。 よく観る人が増えれば もっと安心できる優しい関係が広がっていく。
『キュクロプス』1914年 オディロン・ルドン
『レオナルド・ダ・ヴィンチは』
凡庸な人間は
「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、
体を意識せずに動かし、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」
と嘆いていた。
トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 1515年頃)
『小説や俳句なども含めて創作の習慣は』
ものごとを意識してみるようになるから現実が見えてきて、思い込みに惑わされなくなる。 実際には思い込みや分かっているつもり、伝えているつもりが多い。
絵を描くときも「見たつもり」では描けない。
『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳
『心の思い込みは、気がつきにくい』
絵に描くと自分の思い込みと実際の違いがよく観えてくる。
自画像を描くと自身の見直しになって心の洗濯になる。
『パレットと絵筆をもつ自画像』 1662年 レンブラント・ファン・レイン
『人と同じ情景を見ていても』
人によって違う情報の捉え方で
違う感情、考え方が生まれる。
多角的な視点で情報を捉えなければ、真実は見えてこない。
情報の捉え方で判断が大きく大きく変わる。
『クリスティーナの世界』 1948年 アンドリュー・ワイエス
『日常に感動できる人は幸福』
「よく観る」習慣があって、身近な自然に触れているなど
日常的に五感を磨いている人は、些細なことにも気がつく。
感覚が敏感だとそれだけ感動する経験が多く、
日常生活の中で幸せを感じとれる感覚が身についている。
ターシャ・テューダー 庭にて
『私は何を知っているのか』
「私は何を知らないのか」
「私は何を知らなければならないのか」
思い込みに惑わされないようによく観ることからはじめる。
そして本当のことを理解する。
『紅白梅図屏風』 尾形光琳
『絵は思い込みを外し、よく観て理解するだけで描ける』
描けないと思い込んでいるのは的確な情報を捉えていないだけで、
才能やセンスがないわけでも下手なわけでもない。
絵を描くことへの苦手意識、思い込みを外すだけで一気に上達してしまう。
『静物』1879-82年 ポール・セザンヌ
『見慣れたことでも』
いつも新たな発見をしていく意識を持って、よく観る
といった経験を積めば、
漠然とした理想や専門的な知識の枠に縛られなくなる。
新鮮に感じる気づきは、脳の機能を開放させる。
だから賢者は、散歩や芸術を習慣にしてきた。
『月の水彩画』 ガリレオ・ガリレイ
『思い込みは、自分では気がつきにくい』
だから、分かっているつもり伝えているつもりが多い。
絵を描くときにモチーフを観たつもりでは描けないから
自分の思い込みに気がつく。
よく観て絵を描く習慣がつくと
思い込みに惑わされなくなっていく。
『大抵の悩みは、勝手な自分の思い込み』
周りも自分も絵を描くようによく観て見直すと
色んなことが観えてきて気づきがあり、気分が晴れてくる。
答えは決まっていない、創造すればいい。
『嫌いなことから人は学ぶ』
「嫌い」なことや「わからないこと」でストレスが溜まるのではなく
突き詰めると本当に知りたいことにたどり着く。
「好き」なことを好きであり続けるために「嫌い」を知る。
『いつも意識しておきたい言葉』
「やっかいなのは、何も知らないということではない。
実際は知らないのに。知っていると思い込んでいることだ」
by マーク・トウェイン
現実を直視しチャレンジし続けている人は
自分が気づいたこととまだ知らないということを実感している。
『勝手に入ってくる情報は』
偶然ではなくて意図的に探していたのかも。
個性は、情報の選択により造られていく。
無意識に目に留まり、勝手に耳に入ってくる情報の中にも
考え方や意識を変えてくれる人生の財産となる情報が埋もれている。
飛び込んできた情報も人も出会った因果をちゃんと考えてみる。
『蛇使いの女(The Snake Charmer),』 1907年 アンリ・ルソー
『普段、目にしている物事を』
絵に描くつもりで観てみるといろんなことに気づきだす。
絵は、思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けない。
物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、
書物と様に「読みとく」「理解」する感覚が大切。
『野うさぎ』 1502年 アルブレヒト・デューラー
『デッサンで必要な観察眼とは』
表面的な描写力だけではなく、
観ているものの構造や光など
周りからどのような影響が及ぼされているのかを
読み解き、理解する力である。
このリサーチ力、伝達力は絵を描くことにとどまらず、
様々な仕事にも必要とされる。
『牛乳を注ぐ女』1658年 ヨハネス・フェルメール
『日常のどんなことでも』
絵を描くときにも「よく観る」ことが基本ですが、
これは「必要な情報を見極め、的確に捉える。物事を理解する」ということ。
何かを理解するときに五感を使って知覚することは重要な役割をはたしている。
だから好きなことで感覚を磨いて機能させている人は、惑わされない。
『ほつれ髪の女性』 1508年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『不安を楽しみに変える』
少しでも重い気持ちになったら
その理由を見付けて、よく見直すことにしている。
大半は、強い思い込みで自分を苦しめている。
「問題点に気がつけば解決できる。もっと良くなる。」と考え直して乗り越える。
『海外の文学を研究している知人に』
専門外の映画や書籍の翻訳や通訳の仕事の依頼が集まる。
語学が専門というより、文化や風習、習慣、歴史を熟知している方が
リアルで説得力がある翻訳になる。
絵画でもテクニックは未熟だが、
モチーフ(対象)を熟知している方が心に響く絵を描けることと一緒。
『サント・ヴィクトワール山』1904年 ポール・セザンヌ
『毎日の繰り返し』
同じ場所でありながら季節や時間帯、天気の変化でそれぞれ違う趣があり、
それぞれの表情の違いを意識して眺めると同じものは一つのなく、
それぞれの瞬間が新鮮にみえてくる。たまにはっとする発見もある。
禅の修行のように毎日の繰り返しの中で、気づき成長していく。
『対象を』
思い込みや観念的にとらえている人と、
本質でとらえるために対象をよく観ようとしている人とは、描く線に違いがでる。
優秀なクリエイターは、本質を観て判断し行動している。
作者の描く線一本で、対象のとらえ方、その姿勢が分かる。
『クロッキー』 クリムト
『無駄に悩む必要はない』
絵を描く時も”悩む”と”考える”は違う。
漠然と悩むよりは、必要な情報を集め選択し視点を持って整理していく。
思い込みを取り外し問題点を発見し、具体的に思考して描く時間が大切。
その方が上達も速いようです。
『そんなことで』
心に響いてくる物事は、人によって違う。
感覚を研ぎ澄ましていくと
今、身近にあるもの、すでにもっていることで心を満たすことができる。
特別なものや特定の場所、時間を必要としないで
いつでも心を豊かにすることができる。
誰もができる「よく観る」ことからはじめる。
『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳
『なぜアートなのか』
目で見ているのではない。脳で観ている。
視覚情報を処理するときに脳の25%、神経経路の65%以上が使用され、
これは他のどの感覚よりも使用率が高い。
絵を観るだけで脳が活性化され、神経が磨かれる。
絵を鑑賞(読み解く)することは、観察力を磨く。すべてに関わる。
『見ているようで観ていない』
よく観るということは意識して確認するということ、
事実を確認して、思い込みではなく
本当のことに気づいていくということ。
よく観る人が増えれば、
もっと安心できる優しい関係が広がっていく。
『観たいものしか見ていない』
川の流れを止めると水が淀む、腐る。
情報を止めると思考が止まる。その状態が思い込み。
大抵の思い込みは自分で気づかないから厄介。
現実を直視して自分と違った考え方も
よく見直し新鮮な流れを止めない方がいい。
『人との会話で』
伝えたいことのうち、
言葉で伝わるのは7%ほど、
声(声色、抑揚、その他の音)が37%。
残り55%は、表情やしぐさなどの言葉以外のコミュニケーション。
しかし、指さしなど身振り手振りを言葉の代わりにすると誤解をまねく。
人は感覚の83%を占める視覚情報で判断している。
『西洋の写実絵画は』
見えていることを写真のように写しているのではなく、
見えない情報(におい、味、感触、歴史的背景、思想など)も取り入れて描かれている。
バロック時代の画家カラバッジオ が描いた絵を観ても
見えない情報が伝わってくる。
『果物籠を持つ少年』1593年 - 1594年 カラヴァッジオ
『無意識に』
目に留まり、勝手に耳に入ってくる雑音の中にも
考え方や意識を変えてくれるもの、人生の財産となる情報が埋もれていたりする。
飛び込んできた情報も人も出会った因果を見直すと偶然ではなくて、
意図的に探していたものと気がつく。
『絵を描くこともそうだが』
続けていると
それまでとは違った物事が見えるようになってくる。
最初は目の前にある問題だけしか見えなかったのが
情報の領域が広がっていき、
その物事に影響を及ぼしている周囲の状況が見えてきて、
本質を理解していく。
『聖マタイの召命』1600年 カラヴァッジオ
『人は経験によって』
色の感じ方が違うことにゲーテは気づき
ダ・ヴィンチは老若男女の違いを解剖によって発見し
画家コローは光の演出によって奥行を具体的に設定できることなどに気づくまで
庶民は何の疑問も持たずに日常のこととして見過ごしてきた。
『モルトフォンテーヌの思い出』1864年 カミーユ・コロー
『今、面倒に思うことが』
いずれ自分を救ってくれる。
実は自分にとって大切なことが起こっていたり、
繋がっていたりするのに
気づかなかったり忘れたりしている。
そんな日常に起こる出来事、出会いをスルーしないように
常に世間と関わりを持っていかないと
いずれ孤立した虚しい生活になってしまう。
『悩んだら寝る』
悩みに大小はない。その人にとっては大きな問題。
どうしていいのか分からなくなったり、
なんだか良く見えていなかったりすることで悩んでいる。
そんなときほど「よく見る」「よく見直す」ことにしている。
寝るだけでも見方が変わる。
『画家、マンガ家、小説家、料理人や冒険家など』
あらゆるジャンルにおいて、
アマチュアとプロと呼ばれる人の違いは技巧より、
よく観る力、取材能力にその差がでるのかもしれない。
『ウィトルウィウス的人体図』 1485年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ
『楽しむことは』
本質にたどり着く。
本質を意識したり、気づいたりするだけで、脳が喜び生き返る。
誰でもできる「よく観る、よく感じとる」ことで、楽しみが増えていく。
『一人でも多くの人に希望を抱かせ』
一人でも多くの心を開放させていく人の考え方や行動が
間違いなく正しい。
そんな人は、人や世界をよく観て、
まずは本当のことに気づくことから始めている。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿より
『不満に思ってしまう相手にほど』
依存している自分がいる。
人のやることには限度があり78%が上限で100%になることはない。
できなかったことは次回にトライしていけばいい。
誰だって人に迷惑をかけてしまうから、
自分だけで背負わずに誰かに頼ることも必要。
だから、相手を許す気持ちが大切。
『カフェ(部分)』1949年 藤田嗣治
『幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える』
絵を描くことも仕上がった達成感というよりは
「もっと良くしたい、もっと描きたい」といった過程で
成長が加速し続ける。
だから画家は年をとっても
ボケないで長生きする人が多い。
パブロ・ピカソ アトリエにて
『大切なことは、面倒なもの』
「めんどくさい、めんどくさいなあ〜。めんどくさいから、これも大切。」
しっかり向き合っているから、
面倒なこと、大切なことが見えてくる。
『アルノルフィニ夫妻の肖像』 1434年 ヤン=ファン=アイク
『なんで意識してよく観ることが大切なのか』
そもそも脳は誤作動を起こすもの。
微量な電気でエコ運転をしているので効率的に都合よく考えてしまい思い込む。
見たいものしか見えていないし、
思いと直結していない記憶は忘れていくようにできている。
『アートを読み解く人は』
表面的な好みで作品を選んでいない。
アートの観方は自由で、好みの作家や話題の名画などを楽しむのが一番
だけど、
好みでもなくどちらかというと一見、分からない作品のテーマや隠されているエピソードを読み解いてみると観方が劇的に変わる。
『アビニヨンの娘たち』1907年-1908年 パブロ・ピカソ
『感情は考えるものではなく』
沸き起こるものだから感情に人は振り回されるけど
感情がいつも人を助けてくれたり、知らせてくれたり、守ってくれたりしてくれている。 感情とうまく付き合っていくためには、無理に抑え込んだり、無視したりしないで
いつも事実をよく観て、知らなかったことに気がついていく習慣が必要。
『遊ぶ子ども』 1909年 オスカー・ココシュカ
『川の流れを止めると水が淀む、腐る』
情報を止めると思考が止まる。
その状態が、思い込み。
情報の思い込みで判断すると不安で辛くなる。思い込みを取り除くと思考が機能する。
思考量を増やし、情報を常に選択し、その流れを止めない方がいい。
大抵の思い込みは、自分で気づかないから厄介。
『習慣が創造性を培う』
「よく観る、よく感じとる」習慣があって、
身近な自然に触れているなど日常的に五感を磨いている人は、
ものごとの微妙な変化や些細なことにも気がつく。
創造性とは、センスや才能の有無ではなく、習慣である。
『名所江戸百景 亀戸梅屋敷 のぞき見る』1857年 歌川広重
『思い込みは気づきにくい』
他人と自分とは、同じ環境で同じ経験をしても同じ目的であったとしても
見えていること、解釈、感じ方、考え方は違う。
思い込みの枠にとらわれて、自分の見方が正しいかどうか疑うことをやめてしまったら、
隠れた事実を見逃す危険性がある。
知らないということを知る。
『 La trahison des images(イメージの裏切り)』 マグリット
フォロワー5万人の人気ツイートより
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