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執筆者の写真sfumita7

「仕事」を「アート」に変える

更新日:9月16日



ターシャ・テューダーの庭



 アートは、自分の生活とは無関係だと思い込んでいる方が多いと思われます。まずは

”アート”とは?といった何だか得体のしれないものからではなく、

”働く”とは?といったことから見直してみましょう。



 20世紀ドイツ出身の哲学者であり思想家のハンナ・アーレントは、人が働くことを分かりやすく分析しています。

・労働 :食べていくためにやること/我慢(つらい)/トラバーユ(労苦、骨折り、罰)

・仕事 :クリエイティブな自己表現/充実(楽しい)/やりたいこと、探求したいこと

・活動 :公共のためにやること / 満足(嬉しい)/ 奉仕


 彼女が生きた時代、ドイツではナチズムが台頭していたので迫害を逃れてアメリカ合衆国に亡命した背景があります。

 同時代の女性といったら「アンネの日記」の著者アンネ・フランクを思い出しますが、ハンナも人が人らしく生きることに対して純粋な思いがあったのだと思います。また、彼女は20世紀最大の哲学者といわれるマルティン・ハイデッガーの元恋人であり、若いときから現実社会を真摯に見つめ合いながらのハイレベルな知的交流があったと思われ、その深い考え方や言葉一つ一つに説得力を感じます。


哲学者・思想家 ハンナ・アーレント



 芸術を愛するフランス人の働くこと、トラバーユ【travail:仏】は

【痛み、労苦、苦悩】を意味します。

フランス人の社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースは

日本人の仕事に対する考え方、特に地方の民芸、職人の創造性のある仕事に興味を持ち

日本の仕事をtravailと訳せないと言ったそうです。


社会人類学者クロード・レヴィ=ストロース




日本の仕事を象徴する言葉


歌舞伎役者 坂東玉三郎氏の芸の目的は

「お客様に生きていてよかったとおもっていただくこと」。


五代目坂東玉三郎



「型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。」

「型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。

 どうだ、わかるか?」 落語家 立川談志


立川談志 柳家小ゑん時代(1959年6月6日、当時23歳)

 


二つの生きる。

「最初の死は、医学的に死亡診断書を書かれたとき、最後の死は、死者を覚えている人が誰もいなくなったとき(永六輔さん)」

の考え方は、世の中の朽ちていくモノすべてに通じる。

人や物は永遠に生き続けられないがその”思い”は、誰かが引き継いでいく限り生きる。


永六輔 週刊雑貨より(1966年)



紙面の2次元ではなく、現実の3次元で考える。

経営の神様である松下幸之助が

「経営とは、白紙の上に平面的に価値を創造するだけではない。立体というか四方八方に広がる芸術である。となれば、経営者はまさに総合芸術家。」

と言っている彼はクリエイターである。


松下幸之助(1960年代初期頃)



理性と感性の両立


「現状維持といった考え方が、最も危険」と語るトップ企業の経営者。その想いは企業経営だけではなく、家族(核組織)の将来にも関係しています。今、残っている生き物にしても文化にしても現状維持ではなく、地球や社会の環境変動に適応して新しい生き方にチャレンジして進化し続けてきました。要は「今を生きるための効率性」と「将来、生き続けるための創造性」の両輪がバランスよく回らないとぶれないで真っすぐに前進していけないということなのです。この両輪は「現実と夢」のように一見、矛盾しているように感じます。それが「悩み」となり、そのバランスが悪くなると「問題・摩擦」が起こるのです。明るい未来を拓くためには、その両方の強い想いが必要不可欠で、その歯車がしっかりと強く噛み合っていくことが大切だと考えています。これはビジネスだけの話ではなく、人生の話でもあるのです。

 現状維持のためだけに生きていると人生が空しくなっていきます。夢をみている余裕はないと思い込んでしまうのです。夢をみるということは漠然とした理想ではなく、今の自分や家族に具体的な目的をもって投資するという現実的なことであると思います。人や社会が、現実的な効率性と具体的なビジョンから生まれる創造性を身につけて磨いていくためには、芸術(観察力・思考力・伝達力)教育が、実は最も有効なのです。




働けるありがたさ


 「仕事がある」「契約をとる」「オファーがある」、

それを目的にするというよりは、

そんなことの一つ一つのつながりを「縁」「自分を生かせるチャンス」と捉えて

精一杯やらせていただくといった思いの強さが、

生きがいや喜びに繋がっていくと感じています。


『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』1878年 ピエール=オーギュスト・ルノワール


 ルノワールは若い頃、陶器絵師でしたが産業革命による工業化のあおりで陶器や磁器にプリントの絵付けをする方法が発明され、職人としての道を断念します。

 挫折感に苛まれる中、印象派の画家たちと出会い、同世代のモネとは互いに才能を認め合い、スケッチ旅行を共にするなどして絵画表現を磨き続けました。

 絵は売れずに貧困にあえぎながらも二人は切磋琢磨しながら互いにリスペクトし合って、それぞれ自分の良さに気づいていったのです。また自分を磨き上げるだけではなく、誰かに喜ばれるために絵を描いたことが転機となり、ルノワールは肖像画の依頼が増え、モネの絵はアメリカのコレクターを魅了し始めます。モネはたくさんの風景画を描き、対照的にルノワールは自分の家族や友達などの人物画を中心に描きました。


 後世では「風景のモネ、人物のルノワール」と呼ばれ、画家として成功し多くの人から尊敬され、最晩年まで大好きな絵を描き続けた幸せな長い人生をまっとうすることができたのです。


『睡蓮』 1905年 クロード・モネ




「創造性」が、なぜ今必要なのか


理論物理学者のアルベルト・アインシュタインが

「直観は聖なる授かりものであり、理性は誠実なる従者である。私たちは従者を敬う社会をつくり、授かりものを忘れてしまった。人の脳に備わる本当に大切な能力、知覚・直感・想像力・創造力を近代社会や教育で、ないがしろにしてきたことが現代に影響している。」

という言葉を残しています。


1921年、ウィーンでの講義中のアルベルト・アインシュタイン

「最も高貴な喜びとは、理解する喜びである」と語るレオナルド・ダ・ヴィンチは

「凡庸な人間は、注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」

と嘆き、あらゆる楽しみの根底には

感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していました。


トリノ王宮図書館が所蔵するレオナルドの自画像(1513年 - 1515年頃)



 脳が喜ぶと感覚的知性を磨くことになります。人工知能(AI)が人からほど遠いのは「楽しいからやる」「嬉しいからやってしまう」「誰かが喜ぶからやる」といった感覚です。


①0を1にする = 無いものを創造する

②1から9にする = 既存のものを統計的に判断し効率よく作業する

③9を10に引き上げる = 成長の限界にきたときに新しい価値観を創造する

②は、AIが進歩していく能力 ①と③は、人にしかできないこと、それがアート(創造性)




実は意外なほど、意識し考えて判断していない


 「普通はこうだ。一般的にはそうするはず。」といった漠然とした枠が、フロイトの分析した前意識です。

 思い込みにとらわれてしまうと日常のほとんどを無意識に判断し行動してしまうのです。思い込みを取り外し意識して考えること、自身に正直な判断が「思い」なのです。その「強い思い」で前意識にとらわれずに行動することが大切なのです。




気づくことで成長する

 

トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られるアメリカ合衆国

著作家 小説家 マーク・トウェインは、

「やっかいなのは、何も知らないということではない。実際は知らないのに知っていると思い込んでいることだ。」

と大半の人が観念的な思い込みで物事をとらえて、

偏見で判断してしまっていることに苦言を呈していました。


著作家 小説家 マーク・トウェイン



 絵を描くことも続けていると感覚が磨かれて、これまでとは違った物事が見えるようになっていきます。

 最初は目の前にある現象だけしか見ることができなかったのに観察力が磨かれることで情報の領域が広がっていくのです。

 するとその物事に影響を及ぼしている周囲との関係や状況が見えてきて、多角的な視点で考え判断できるように成長していくのです。


『牛乳を注ぐ女』1658年 ヨハネス・フェルメール




『幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える』

とフランスの経済学者ダニエル・コーエン氏と提唱するように

絵を描くことも仕上がった達成感というよりは

「もっと良くしたい、もっと描きたい」 といった過程で成長が加速し続けます。

だから新作を描き続けるクリエイターは高齢でも元気な人が多いのです。



絵を描くことは、絵のプロになるためだけに必要なことではありません。

絵の描き方を習うということは、

じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、

それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味しています。



人に喜ばれる生きがいのある仕事


 以前にブライダル系企業の職員研修として、それまでは結婚式のデザインを写真カタログを使って提案していた職員にデッサンレッスンとデザインの指導をしたことがあります。

研修を受けた各職員は、それぞれのお客様とのコミュニケーションから引き出される情報で、ブーケや衣装のイメージを絵に描いてオーダーメイドのデザインとして提案できるまでに成長しました。

 お客様に大変に喜ばれ実績が上がるだけではなく、職員の働く意識が「ノルマを達成する労働」から「人に喜ばれる生きがいのある仕事」に変わっていったという嬉しい報告がありました。そんな職員の生き生きとした姿をみて経営者も幸せな気分になったということです。


「デザインとは単にどのように見えるか、どのように感じるかということではない。どう機能するかだ。」

とアメリカ合衆国の工業デザイナー、企業家のスティーブ・ジョブズは語っています。


スティーブ・ジョブズ


 社会や教育、企業に必要とされる創造性の本質として、スティーブ・ジョブズがピクサー映画の製作として掲げた理念である ”「ストーリー」「キャラクター」「世界観」の3つを主要な側面として考える” は、魅力的な社会や教育、企業を創造していくためにも重要なワードだと思います。



 「思い込みをなくす」「気づき」「ストーリー性」「個人の感性」「関心をもつ」「世界観」「美意識」などといった創造性の本質を捉えた視点の導入が、息の長い考え方として社会や教育、企業に必要だと感じています。





テーマ(構図:何を表現したいのか)/疑問・違和感・問題(悩み)の原因



創造性はアートの世界だけではなく、繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。


自分の視点が変わることで世界の見え方が変わる。

アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、

あまりにも日常的で当たり前のこととして見過ごしている”奇跡”に気づいたり、見直したりして視点が多角化して視座が変わり、結果的に今までの日常が変わる。


芸術家たちは

いつの時代も新しい価値を探し求めて、未知の領域への挑戦を繰り返してきた。

だから、時代時代に必要とされるアートが社会変動と共に変貌し続けている。


文田聖二『記憶と記録:日記』より




『一日、何かやりたかったことを一つでもできれば、それで上等 』

「今日はこれができたから、それでいい」

「明日は、これだけやればいい」

いっぺんにたくさんできることが偉いわけではない。

一つ一つ、実現していくことが大事。


ターシャ・テューダー



「私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、

 すべてが奇跡であるかのように生きるかである」 

                   理論物理学者アルベルト・アインシュタイン




『物も事も人によって価値が違う』

「こんなことしかできない。こんなものしかもっていない。」といった自分の勝手な思い込みで価値を下げている。

好きなこと、楽しんでいたこと、続けてやってきたことの価値は

自分が考えている以上に高い。



『競争、比較することで』

劣等感や不幸を感じてしまいがち。どんな状況でも「今の自分よりも少しでも成長しよう」 といった向上心が幸福感を持続させる。

劇団四季の座長が「隣の時計をみない」とそれぞれのペースで成長していく大切さを語っていた。



『脈絡がない作業数が増えると多忙になる』

漠然とした多忙を受け入れるとストレスが溜まっていく。

具体的な目的や将来のビジョンがあり、ブレずに筋道を通せば

無駄な悩みもストレスも少なくなり作業効率も上がる。

人生でいえば将来への不安より、現在のやりがいや期待が増していく。


文田聖二『記憶と記録:日記』より



『絵は、手紙や看板、標識』

何かを承認してもらうための企画書と同じ。なので、

何を伝えたいのか、その目的や想いによってずいぶん違うビジュアルになる。

上手いか下手かは問題ではない。

絵に正解はなく、作者が届けたい想い、テーマが 誰かに伝わる構図、明暗、かたち、色が魅力として響く。


『民衆を導く自由の女神』 1830年 ウジェーヌ・ドラクロワ



『動画を描いた絵師』

江戸時代に俵屋宗達が描いたとされている(作者の落款が押されていない)

「風神雷神図」からは映像的な躍動感が伝わってくる。

三十三間堂にある勇ましく躍動感が特徴の鎌倉時代につくられた木彫を

モデルにして描かれている。





『人に必要なこと』

教育で問われている”知識”か”考える力”か?

その前に必要な

・問題点を見つけ出す力

・違う視点に気づく力

・知らないことを受け入れる力

が“答えのない問題”を解決していく創造力につながる。

やはり人には“心身の動揺を伴うような強い感動から沸き起こる欲求”が必要だと思う。


『アクイラ・デッリ・アブルッツィ』 1952年 アンリ・カルティエ=ブレッソン



『伝えたいこと(テーマ)によって表現が変わる』

働きものの温かい手、たくましい手、優しく抱きかかえる手、祈りの手。

上手くみせるのではなく、何を伝えるかが問題。


手のデッサン【デューラー、ダ・ヴィンチ、ヘンリー・ムーワ、エッシャー】



『絵で伝える』

下半身が麻痺していたので草原に腰を下ろして寛いでいるのではなく、這って進むしか出来なかったクリスティーナ。

「大部分の人が絶望に陥るような境遇にあって、驚異的な克服を見せる彼女の姿を正しく

 伝えることが私の挑戦だった。」

クリスティーナから感じた世界を画家ワイエスは絵で伝えている。


『クリスティーナの世界』 1948年 アンドリュー・ワイエス



『誰かを想う気持ちで』

自分も癒されていく。

脳科学の分野でも相手への感謝の言葉や褒めることが、自分自身がそう言われているように脳が認識していくことがやっと分かってきたようです。


『猫』 藤田嗣治



『何ごとにも丁寧な子は』

鈍い様だが伸びる。鈍いのではなく、自分がしていることを意識している。

そんな子は、失敗した時に一気に学習して成長する。

雑な子は、失敗が成長するチャンスだということに気づく意識が働かない。

大人も同じ。

丁寧な仕事を褒めて評価すればいい。相手にも自分にも


『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿



『自分の心配や不安にただただ取り込まれて悩んでいるより』

誰かのために、何か役に立てられることはないかを考えている方が楽々ちん。

遊びも仕事も人のことを考えているかどうかで、その気分が随分変わる。


『カフェ(部分)』 1949年 藤田嗣治



『自分の思いだけを押し付けるのではなく』

相手の思い描く物語を引き出そう、

出しやすくしてあげる姿勢に信頼感を感じる。

仕事も教育も、意思疎通(相手の思いを理解できる能力)が必要。


『真珠の耳飾りの少女』 1665年 フェルメール



『西洋は、脳を刺激して』

脳で感動して理解する“論理思考文化”


『マリー・ド・メディシスの生涯:マリーのマルセイユ到着』 1622-25年 

ピーテル・パウル・ルーベンス



『画面を支配する西洋画』

背景に描写される草花には象徴的な意味が込められている。

ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折(ようせつ:若死に)、ケシの花は死を意味している。


『オフィーリア』 1851-52年 ジョン・エヴァレット・ミレー

 


『西洋は描いて埋める、日本は描かない』

「西洋人は余白があることを恐れる」

細部まで描き込み支配する、

肖像画であっても背景の隅々まで描かれているものに意味をもたせる。

「日本人は満たされていることに恐れを抱く」

描くべきものだけを描き、あとは余白にする。間を大切にする。


『春宵図』1790年 喜多川歌麿



『日本は、脳を休めて』

情緒に感動して癒され心で理解する“情緒思考文化”


『凱風快晴』 1832年 葛飾北斎



『脳を休める情緒思考文化』

日本の絵巻物、浮世絵、漫画・アニメのルーツといえる『鳥獣人物戯画絵巻』。

平安時代後期から鎌倉時代までの80年間をかけて、無名の僧侶たちによって庶民の日常生活が、擬人化された動物キャラクターで描かれた。






『楽しいことが才能』

継続すること、継続してしまうことが重要で、何よりも説得力がある。

目的意識ではなく、そうしたいからしてしまうこと、

自分を突き動かしている「欲求・衝動」を与えられたものだと考えると

寸暇を惜しんでやってしまう好きなこと楽しいことが才能。


文田聖二『記憶と記録 日記』より



『つくづく感じる』

相手をリスペクトして協働していると

充実した時間、事、物、場所、成長が生まれる。

お互いにリスペクトできない関係からは何も生まれない。

フラットな人間関係でいられるといい。


『燕子花図』 江戸時代(18世紀) 尾形光琳




『周りに迷惑をかけないこと』

この言葉には

「今、自分のやるべきことをやる」

「周りのことを考える。」

「自に与えられた仕事に意味を見出す」

「お世話になったときも、いつもと変わらずに過ごせたときも感謝する」など、

根本的なことが含まれている。



『何をしたかではなく何のためにやっているのかが、心に響く』

日曜画家だったアンリ・ルソー

世界的に知られる名画はすべて50過ぎに描いた作品。

生前、モンマルトの画家たちは「へたくそ」と馬鹿にしていた中

彼の才能を認めていたのがピカソ。


『蛇使いの女(The Snake Charmer)』1907年 アンリ・ルソー



『記憶力、計算力、語彙力、情報処理力などの能力が求められる』

が、可愛い、美しいと感じたり感動したりする情動をつかさどる前頭葉が機能しなければ 家族や友達と幸せな日常を過ごすことはできない。

人にはアートとサイエンスの両方が必要。

美意識、文化を日常的に感じていると生活に張りがでる。



『いつでも黙って受け入れてくれて』

一緒にいるだけで自身を見直せるような存在。

座右の銘となる言葉、お気に入りの本や絵との出会いは、

運命的な人との出会いに匹敵するものがある。

それに込められている意図の読み解きができるとさらに成長できる。



『絵に置き換えられているものは日常の中の一瞬のきらめき』

絵は、作者が気づいた日常の些細なことや発見を描き残せたり覗けたりできる魅力がある。その気づきに共感する人が多いほど、

またそのテーマが普遍的なものであるほど長い時間愛され続ける。


ピアノの前の少女たち』1892年 ピエール・オーギュスト・ルノワール




『絵は、読書と似ていて描く数を重ねるごとに発見がある』

自分の成長によって同じ絵でも気づくことが違ってくる。

同じテーマで繰り返し、綴ったり、歌ったり、描いたりすることで

感覚を磨くことができる。



『息詰まったら』

全く違うことに切り替えることで、脳が解放される。

次々と新しい視点で美術作品を生み出し天才と呼ばれたピカソのアトリエには

いつも表現手段の違う絵画、彫刻、陶芸など制作途中の作品が並べられていた。

一つの制作に執着しないことで、いつも新鮮な目でそれぞれに集中できていた。


パブロ・ピカソ アトリエにて




『職場で』

嫌なことがあっても大した結果が残せなかった日でも

一日一つでも 何かに気づいたり 誰かが喜んでくれたり、

少しでもの役に立てたりしたのなら上等。

思考の凄い力。信念は細胞まで変えるらしい。

生きている限り、強い想いで進化する。



『学校での評価も成績も低かったアイザック・ニュートン』

その後の世界に大きく影響する発見を立て続けにしていったのは、

誰かが出した答えを追いかける人たちを評価する世界の中で、

自分の疑問に対して、実際に目で確かめたことしか納得しワクワクできなかったから。

自分の直観を信じて素直に実証をしていった。




創造性はアートの世界だけではなく、 繰り返される実生活の中でこそ効用を発揮する。


自分の視座・視野・視点が変わることで世界の見え方が変わる。

アートに触れることで、日常を非日常に変えるのではなく、

当たり前のこととして見過ごしている”日常の奇跡”に気づいて、

視座が変わり視野が広がって視点が多角化して、

結果的に今までの日常が変わる。



フォロワー5万人の人気ツイートより






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