文化は、贅沢とは違います。文化は人生に必要不可欠なもので、ビルに例えると窓や灯り、屋上のようなもの。 生きていくために雨風をしのげる屋根や壁はあっても窓や灯り、屋上のないビルの中で生活していると人は、閉塞感にさいなまれ、人生が貧しく荒んだものになってしまうのです。
歌舞伎や浮世絵などの伝統芸能、美術館だけではなく、祭、映画館、ライブハウス、コンサート会場、小劇場、漫画喫茶、ネットカフェ、ゲームセンター、絵画教室…なども日本の大切な文化を支えている必要不可欠な場所です。 そんな文化が途絶えてしまわないように 日本も文化、その担い手たちを守る姿勢が必要です。
そんな国の姿勢の違い、各国の社会や人の意識が、未曽有のできごとへの対処の仕方に露呈されます。
こんな時だからこそ、日本社会での文化活動の位置づけや日本人の文化への意識、認識を見直す機会になればいいと感じています。
世界の中で、日本人は絵が上手い民族。 日本文学も俳句もビジュアル的な言語。 生け花も茶道もビジュアル的な文化。 日本の文化は映像文化。 日本人はビジュアル人間。 ビジュアルを巧みに操る民族。 だから日本アニメや漫画は世界から支持される。 そのDNAをもっと教育や仕事に活かすべき。
日本では、自然の一部として一体感を感じることで情緒に感動し癒され、心で理解する情緒思考文化が栄えた。
西洋は「絵で埋める」 細部まで描きこまれていたり肖像画であっても背景が描かれたりしている。
「西洋人は余白があることを恐れる」
日本は「描かない」 描くべきものだけを描きあとは余白にする。
「日本人は満たされていることに恐れを抱く」
歌舞伎もオペラも伝統文化は五感を使って伝承していくシステムの一つ。 中世西洋の教会も布教のためのシステムとして捉えると天を見上げさせるための天井画やステンドグラスのように五感を使って教えを認識させるための伝達技術を駆使した建造物。
いさぎいい絵 日本の絵は、漫画・日本アニメのルーツ シンプルなイラストは明快で分かりやすい。 簡単に描くということではなく無駄な線を省いている。 的確に情報を伝えられる線をみつけ最小限の必要な線だけで 印象や特徴を明快に描いている。
大半の日本人が絵を描けないと思い込んでいる。才能が埋もれている。世界の中でも日本人は絵が描ける環境にいることに気がついていない。日本人は日常的に良質なクオリティ画像に囲まれて育っている。
絵を描いたり、ものを造ったりしているときの充実感は 子供の頃、時を忘れてずっと遊んでいた時間に似ている。
思考(イメージ)と行動の繰り返しが人を成長させ、充実させていく。楽しいから集中し、思考量が増えて具体的な行動に移れる。
本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられる。
『ビードロを吹く女』1790-91年 喜多川歌麿
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