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執筆者の写真sfumita7

マイノリティを描いたブルジョワ画家

更新日:4月22日

ロートレックのアートに対する情熱、あるいは執着は、自らが抱える身体的なコンプレックスに後押しされました。ロートレックは13~14歳のときに左右の足を相次いで骨折し、以来足の成長が止まってしまいます。いとこ同士だった両親の近親婚による遺伝的な疾患によるものだといわれていますが、同年代の若者と同じような活動ができない彼は、絵画に没頭するしかありませんでした。


トゥールーズ=ロートレック



やがてパリの画塾で勉強することになったロートレックは、モンマルトルに集う芸術家たちと出会います。しかし身長が低い彼は笑い者になり、酒や娼婦におぼれていきます。こうして彼はモンマルトルの丘の下で下級社会の人々の中に混じって、マイノリティである娼婦や踊り子たちを題材に絵を描いていったのです。



『フェルナンド・サーカスにて』1888年 トゥールーズ=ロートレック



『ムーラン・ルージュにて』 1892年 トゥールーズ=ロートレック



『ムーラン・ルージュに入るラ・グリュ』1892年

トゥールーズ=ロートレック



そんなロートレックのもとに、彼が通い詰めていたダンスホール「ムーラン・ルージュ」のポスター制作の依頼が舞い込みます。まわりの画家たちはその仕事を見下しましたが、彼は踊り子たちの名前を添えて、芸術的なポスターとして仕上げたのです。


ポスター『ムーラン・ルージュのラ・グリュ』1891年

トゥールーズ=ロートレック




『キャバレー・アンバサドゥールのアリスティード・ブリュアン』1892年 

トゥール―ズ=ロートレック




ポスター『ディヴァン・ジャポネ』1892年

トゥールーズ=ロートレック

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