五感を刺激すると脳が喜ぶ。
記憶やイメージが掻き立てられると脳が元気になる。
人が本当に求めていることは、心が揺さぶられる感動と穏やかな心。

『静物』 1960年 ジョルジョ・モランディ
観る者にイメージの世界を広げる想像力を与えくれた画家ジョルジョ・モランディ。

GIORGIO MORANDI(ジョルジョ モランディ)1890~1964
光に興味を持つモランディは、イタリア ボローニャに住み牧師とあだ名されるほど素朴な人だった。
モランディは静物や風景といったごく身近なものをテーマにする。自分が求めているものを手に入れるために、なにも100里も遠くまで行く必要はない。

『静物』 ジョルジョ・モランディ
彼の描く絵は、食べ終わったジャムのラベルを剥がしたビンや箱など、身近にあるものをモチー フとしてそれらを誇大化するのが特徴である。その誇大化によってビジュアルダイナミズムを引き起こす。
いつでもどこでも目にしている場面、無限にある立方体と球体の組み合わせ、置き方によってフォルムとフォルムの因果関係が生まれ、その因果関係の微妙なバランスに見る人はそれぞれの記憶、郷愁、味わいを感じ、心を落ち着かせる。
モランディの絵は決して派手ではないが観る者それぞれの記憶を呼び起こすセンスの良さが世界中のコレクターを魅了している。

『静物』1949年 モランディ美術館(ボローニャ)蔵
モランディは3畳ほどの狭いアトリエにこもると、『ガラス瓶』をじっと見つめ直した。「わたしが見ているのは、ほんとうはなんなんだろう?『ガラス瓶』をつくりあげている砂粒子のかたまり?それとも光によるただの陰影?」「 そこにガラス瓶が見えているから、存在しているのだろう。
じゃあ『存在している』というのはどういうことなの?」これはまだまだ序の口で、モランディはキャンバスと向き合ってもっと『禅問答』に近いようなところまでいっていたと思われる。
筆幅は徐々に広がり、絵の具も厚みを増していった。色彩においても色調においても、『静物』の形が『背景』と同一化していく。両者のあいだの『境目』のようなものが、同調していくようにだんだんと消えていった。
モランディが描く『静物』は、モチーフそのものを描くというよりも、『静物』が置かれている空間全体のリズムとハーモニーをとらえているようにも見える。モランディが描いているのはたしかに『瓶と壷とパン』の静物画なのだが、そこに描かれているモチーフは、もはや瓶でも壷でもパンでもなく、その『静物』と『心』が同調していくことで、その絵を観た者の記憶にある森や都会の摩天楼のような風景画としてとらえられるのだ。
モランディが絵に描き表現したかったのは『静物と光』や『静物の本質』ではなく、『心によって形が与えられている静物』、季節によって変わりゆく森や街並みの景観のように『心と微妙に連関して刻一刻と形を変えていく静物』だったのではないのか?

『静物』 ジョルジョ・モランディ

『花』 1950 年 モランディ美術館(ボローニャ)蔵
ボローニャのアトリエかグリツァーナの避暑地で年がら年中おなじ場所にいながら、画壇からははるか遠い世界に飛んで(モランディの展示会嫌いは有名)自己の内面と厳しく向き合った『禅坊主モランディ』と、貴族趣味の風潮がつよいロココ時代に絵画のヒエラルキーでは底辺に位置する『静物画』をひたすら描きつづけたフランス人画家シャルダン(Jean Baptiste Simeon Chardin 1699-1779)に共通するものを感じる。

ジャン・シメオン・シャルダン
(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699年11月2日 - 1779年12月6日)

『銀のゴブレットとりんご(銀のゴブレット)(アピ、栗、小鉢と銀のゴブレット)』 1768年 ジャン・シメオン・シャルダン

『水差し、ゴブレット、レモン、リンゴ、洋梨のある静物』1750年頃
ジャン・シメオン・シャルダン
若いころのモランディは、「何を描くかより、どう描くかが問題だ」と語っていた近代絵画の革命児ポール・セザンヌや未来派の影響を受け、きわめて幾何学的な抽象画を描いていた。
現在わたしたちが思い浮かべるような静物画作品をモランディが制作しはじめるのは、1920年ごろからである。

『静物』1879-82年 ポール・セザンヌ

『カード遊びをする人々』1892-93年 ポール・セザンヌ

『大水浴図』1906年 ポール・セザンヌ
モランディは、静謐、郷愁、謎、幻惑、困惑、不安など、かたちがないものを初めて絵(形而上絵画)に描いた同じイタリアのシュルレアリスムの画家ジョルジョ・デ・キリコからの影響を受けている。

『愛の歌』 1914年 ジョルジョ・デ・キリコ
形而上絵画
1917年、イタリアのキリコらが中心となって興した絵画運動。幻想的な風景や静物を通して、形而上的な世界を表現、シュールレアリスムの絵画に影響を与えた。
デ・キリコの典型的な作品に則して述べれば、形而上絵画の特徴としては、主としてイタ
リア広場を舞台にしつつ、
画面の左右で、遠近法における焦点がずれている。
人間がまったく描かれていないか、小さくしか描かれていない。
彫刻、または、マネキンなどの特異な静物が描かれている。
長い影が描かれている。作品によっては、画面内の時計が示している時刻と影の長さの辻褄が合わない。例えば、時計は、正午に比較的近い時刻を示しているのに、影がひどく長い、など。
画面内に汽車が描かれており、煙を出しているので、走っていると思われるのに、煙はまっすぐ上に向かっている。
などが挙げられる。
これらの特徴の結果、作品を見る者は、静謐、郷愁、謎、幻惑、困惑、不安などを感じることが多い。


『通りの神秘と憂愁』1914年 ジョルジョ・デ・キリコ
形而上絵画とは
1917年にパリで提唱されたイタリアの美術運動の一つ。一般に、1915年から18年までのジョルジオ・デ・キリコ,カルロ・カッラ,ジョルジオ・モランディの作品を指す。都市生活のダイナミズムを唱えた未来派の後に、その反動として表われ、神秘的な風景や静物のなかにメタフィジカル(形而上的)な世界を暗示しょうとした。
カッラは、線や色の視覚的特質により関心を示した。モランディは「形而上絵画を聖化した」と言われる静謐な静物画を追求した。 グループとしての形而上絵画は、第1次世界大戦後長くは続かなかったが、キリコを通じてシュル・レアリスムの作家たちに与えた影響は大きい。
形而上
1 形をもっていないもの。 2 哲学で、時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては
認識できないも の。超自然的、理念的なもの。⇔形而下。
※形而下
1 形を備えたもの。物質的なもの。
2 哲学で、感性を介した経験によって認識できるもの。時間・空間を基礎的形式とする
現象的世界に形をとって存在するもの。
形而上学とは
一般的には実体や自己などの存在を規定する普遍的な原理について研究する哲学の一領域である。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える学問分野である。
形而上学とは、実在する物事の存在を決定する根本的な原理を解明しようとする研究である。
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