芸術家の目
子どもの描く絵は、対象(モチーフ)の特徴をとらえた大胆な線や色で描かれています。なぜなら、知識としてまだ知らないものばかりなので、余計な先入観や思い込みで対象を観ていないからです。知らないからこそ”よく観る“、いわゆる”芸術家の目“をもって絵を描いているのです。
印象派の画家クロード・モネが語るように「誰でも絵は描けるが、自分の見ている程度に描ける」のです。
逆に対象の構造や特徴、印象までも的確にとらえて、絵に描けるということは、その対象を「理解した」といえるのです。
『睡蓮(Nymphéas) 』1916年 クロード・モネ
人生を長く生きてきた大人ほど、世の中のほとんどのもの事を「知っているという思い込み」のフィルターを通して見ているのです。 野原で一輪の花を見かけて「何だ、すみれの花か」と言葉で理解した瞬間、見るのをやめます。よく観れば、かつて気づかなかった美しさに感動できるのに知っていると思い込んでいるのです。そんな時、芸術家は何度でも繰り返し見直します。成功している起業家や科学者は、言葉での理解を疑い、実際によく観て、自分で気づいたことで判断し実行しています。
『トムソーヤの冒険』の著者であるアメリカの国民的小説家マーク・トウェインも
「やっかいなのは、何も知らないということではない。実際は知らないのに知っていると思い込んでいることだ。」と提唱しています。
この右脳(画像)で理解することは、絵を描くことにとどまりません。自転車に乗る、アスリートの動き、囲碁や将棋、ゲーム、料理をする、楽器を弾くこと、初めての任務など新たに挑戦することすべてに当てはまるのです。
人の脳は、「名前などの“言葉”」と「顔などの”画像“」とで記憶する場所が違います。画像を記憶する右脳(側頭葉)の容量は無限なのに、現代人は言葉で理解をして記憶量に限界のある左脳(側頭葉)で覚える習慣をすり込まれてきました。だから、人生経験があり知識が豊富な大人よりも経験や知識が浅い子どもの方が、右脳を活用しているので限界がなく、何事においても上達が速いといえます。いつも新鮮な気持ちで右脳を使って絵を描くように”よく観る“習慣を身につけていけば、子どものように誰でも芸術家にもどれるのです。
人は、脳の表面の大脳皮質で見覚えのある顔からエピソードを検索し、忘れていた名前の記憶を引き出しています。こんな情報処理ができる脳に進化してから人が芸術性、いわゆる創造性を身につけたと考えています。他の動物にない創造力で人は、それまでの記憶を頼りにイメージした絵を描き、道具を造り出し、物語を考え、歌を創作していったのです。
絵を描くことの楽しさを思い出す
壁や地面に描いた絵、クレヨンで描いた夏休みの思い出、着てみたいドレスや試してみたい髪型の絵、芋版、絵ハガキ、友達や先生の似顔絵、教科書に描いたラクガキ、…絵が苦手という方はいつから描くことが楽しくなくなったのでしょう。
幼い頃は描く絵に「答え」を決めつけていなかったので、上手い下手もなくワクワクして好きな色で自由自在に塗ったり線を描いたりしていました。漫画やアニメを観るようになってから憧れのキャラクターを描き写したい欲求が出てきて上手く描けるクラスの人気者と比べはじめ、絵を描く才能の有無を決めつけていったのではないでしょうか。
美術館や画集、美術の教科者などで写真のように描かれた写実絵画や個性的な名画に出会ったときに「自分には画家のような絵を描くことはできない」と思い込み、いつの間にか描く絵の「正解」を勝手に決めて「写真のように上手く描き写せないから恥ずかしい。」と絵を描くことを極力避けるようになっていった人も少なくないと思います。 大半の人が絵を描けないのではなくて、描かなくなったから苦手だと思い込んでいるのです。絵に正解はありません。誰かに評価されることや喜ばせたり驚かせたりするためではなく、自分がワクワクできればいいのです。
まずは絵を描きはじめることが大切です。さまざまな用途で絵を楽しんで描く習慣がつけば、誰でも上達していくのです。
『忘れっぽい天使(Vergesslicher Engel, 1939)』 Paul Klee
人は絵を描く
大人になって絵を描かなくなった人も幼い頃は絵で表現していた。大半の日本人が絵を描けないと思い込んでいる。才能が埋もれている。大人になると表現したいといった欲求よりも「恥をかきたくない」「失敗するのが怖い」といった意識が先に立ってせっかく芽生えた情動を抑えてしまう。もったいない。
世界の中でも日本人は絵が描ける環境にいることに気がついていない。日本人は日常的に良質なクオリティ画像に囲まれて育っている。
『富嶽三十六景-神奈川沖浪』 葛飾北斎
やってみたいことや楽しめることを見付けて過ごした時間や物、場所や人たちは生涯の財産になる。好きなことや一緒にいたい人とできるだけ長い時間を過ごすことで自分を活かせる思考力や感覚が磨かれていく。他人の評価は気にしなくていい。
『キュクロプス』1914年 オディロン・ルドン
「こんなことしかできない。こんなものしかもっていない。」と勝手に思い込んで、自分の価値に気づいていない。
誰かと比べる必要はない。「好きなこと、楽しんでいたこと、続けてやってきたこと」 の価値は自分が考えている以上に高い。
『燕子花図屏風』1701-04年 尾形光琳
誰かの出した答えを目指す必要はない。答えはいつも自分で創造していくもの。戦争の悲しみ、憎しみ、悔しさ、苦しさ…が表現された『ゲルニカ』。ドイツ兵から「この絵を描いたのはお前か。」と聞かれた近代美術の巨匠ピカソは「この絵を描いたのは、あなたたちだ。」と答えた。
『ゲルニカ』1937年 パブロ・ピカソ
何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいる。絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があること。
歴史に残る作家は特別な才能があったということより思いを伝えるモチベーションが極めて高かったといえる。画家になる前にゴッホは牧師だった。ゴーギャンは25歳頃までは株の仲買人、ルソーは税理士で、世に出ている作品は50歳過ぎに描いたもの。大切なのは、才能やスキルよりも好奇心や関心、欲求があるということ。
『星月夜』1889年 6月、サン=レミ ファン ゴッホ
『タヒチの女(浜辺にて)』1891年 ポール・ゴーガン
『蛇使いの女(The Snake Charmer),』 1907年 アンリ・ルソー
レオナルド・ダ・ヴィンチは、凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、あらゆる楽しみは感覚的知性を磨くと提唱していた。
物足りなさや空しさは創造性を磨く時間を増やすことで解消されていく。
『受胎告知』1475年 - 1485年 ウフィツィ美術館(フィレンツェ)
レオナルドの完成している絵画としては、最初期の作品と見なされている。
絵を描いたり観たり、ブログ、料理、園芸、筋トレしたり、音楽を聴いてぼ~とイメージするだけでも創造性は磨かれる。穴を掘るだけでも可視化される創作は更に心が満たされていく。そんな時間を無駄だと思い込まないこと。
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