パリの税関の下級役人として働き、休日に絵を描いていた「日曜画家」ルソーは、ジャングルをテーマにした作品をいくつも描きました。
『熱帯嵐のなかのトラ』1891年 アンリ・ルソー
都会育ちの彼は、パリ万国博覧会で再現されていたフランスの植民地(セネガルやタヒチ)の、ジャングの風景に感動したようです。
その未知の世界観に憧れを抱くようになった彼は、動物の写真集と近くの植物園で描いたスケッチ、そして実際に旅行してきた知人の体験談を聞いて、彼独特の画法と想像力でこの作品を描き切りました。
そこには、本当に体感してきたような緻密さとリアルさがあります。
『蛇使いの女』1907年 アンリ・ルソー
伝統的な遠近法や明暗法、色彩論、写実表現にとらわれない自由な画法。しかし、ルソーのように自己流で絵を描いていた人たちは「素朴派」と呼ばれ、独学で描いた絵は、ほかの画家たちに「へたくそ」とバカにされ、批評家たちの笑いものにされました。
『フットボールをする人々』1908年 アンリ・ルソー
アカデミックな美術教育を受けていないルソーにとっては「その描き方しか知らない」だけのことですが、そんなルソーを伝統的なアートセオリーを否定し、次々と新しい表現にチャレンジしていた前衛画家のパウロ・ピカソは、高く評価していました。
当時の芸術界では唯一無二の存在であったルソー作品は、評論家たちもどう評価してよいかわからなかったのに対して、「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」「私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」と語っていたピカソにとっては、ルソーの独創的な絵画表現に新しい価値を見出し、刺激を受けたのでしょう。
副業画家のデビューは遅く、彼の世界的に知られる名画はすべて50 歳を過ぎてから描いた作品です。
『私自身、肖像=風景』1890年 アンリ・ルソー
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